2012年02月12日

借りてきた言葉と自分の言葉

僕は本をよく買います。基本的には気になった本は善かれ悪しかれとにかく購入して読んでみるのですが、あまり気乗りのしない本はまず本屋や図書館などで実物を手に取り、「目次」と「はじめに」を読み、中身の適当な部分を数ページほど読んでみて、購入するかどうかを判断しています。

先日知人から教えられた本があまり惹かれるタイトルではなかったため、中身を確認してから購入しようと本屋を訪れました。
その本はいわゆるまちづくりや都市計画に関係する本だったのですが、手に取って中身を見て、購入はしませんでした。

その後、その本が置かれていたまちづくりや都市計画に関するコーナーの他の本にも何冊か目を通したのですが、そこであることに気がつきました。
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そこに置かれていたまちづくりや都市計画に関する本の多くが、いわゆる事例集などというもので、全国のたくさんの取り組みを紹介している本でした。
しかし内容を見てみると、一人もしくは複数の編集者の視点からの考察でまとめられたものが多いように感じられました。
つまり“取材をされた”事例であって、“取り組んだ本人の記述による”事例ではないのです。
特にまちづくりや都市計画などは、分野的にもそのような本が多くなるのだと思います。

それら“取材をされた”事例集の存在を否定はしませんが、僕はそのようなものには興味がありません。

僕が知りたいのは、“編集者の評価や考え”ではなく、“実施者の言葉や考え”です。
誰かがやったことを第三者の視点でまとめられる文章には全く興味がありません。

例えば誰かが「目次:1.SONY、2.松下、3.東芝・・・」などとまとめた本にはまったく興味がないのです。
僕が興味あるのはその会社を設立されたり経営されている実践者である益田昭夫さんや松下幸之助さん本人の言葉。“益田昭夫著”、“松下幸之助著”といった本です。
実践者が苦労した話、失敗した話、成功に導くためにした工夫などを僕は知りたいし、それが書かれている本に僕は出会いたいと思っています。

今日「河北新聞社」が文藝春秋社から出している『河北新報の一番長い日 震災下の地元紙』という本を読んだのですが、その本は僕の要求を満たしてくれたよい本でした。
http://www.amazon.co.jp/dp/4163744703

内容は昨年3月11日の東日本大震災で被災した地元新聞社の、その時の状況を綴ったものです。
書き手は主に河北新報社の記者達によるもので、東日本大震災を舞台にプロの書き手によるプロフェッショナルな仕事について書かれたノンフィクションなのですが、自慢や押しつけではなく自分たちの言葉が書かれ、苦悩や失敗も納められていて学び得ることも多かったです。
それに震災当時の様子がよく伝わってきて、途中で何度も泣きそうになりました。

“編集者の評価や考え”というものには「借りてきた言葉」「どこかで教えられた言葉」「どこかで読んだ言葉」が多く、読んでいても軽い印象しか残らないのですが、“実施者の言葉や考え”には「本人の実体験から生まれた言葉」「頭から絞り出した言葉」「実体験をどこかで教えられた・聞いたことと結びつけた説得力ある言葉」が多く、深く心に残り、またとても勉強になります。

このことは本だけではなく、人が話をする時にも同じことが言えると思います。

僕の周りにも、自分の体験から出た自分の言葉を話すことができる人と、借りてきた言葉しか話せない人がいます。
実体験を元にした話をしてくれる人の話は聞いていてとても楽しく勉強になるのですが、借りてきた言葉で話す人の話は聞いていて途中で飽きてしまいます。

もちろん誰だって最初から自分の言葉を話せるわけではありません。最初は誰だって借りてきた言葉・教えられた言葉・聞いた言葉から始めるわけですが、それを自分の言葉にするのは、いかにその人生の中で自分で考え、判断・決断し、実行・実践してきたか、にあるのだと思います。
だから僕は、もっといろいろな経験や挑戦をしたいと思っていますし、話す時に借り物の言葉ではなく、自身の経験から出た自分の言葉を人に話せる大人になりたいと、常日頃思っているのです。
posted by Coyama at 22:15| 思ったこと・感じたこと