2012年02月11日

志村、うしろー!

今日街を歩いていたらすごい寝癖の小学生を見かけました。その寝癖はまるで飛行機の尾翼のような寝癖でした。
前髪であれば花形満のように格好もつきますが、その小学生の場合は思いっきり後頭部だったため、遠目で見てもおかしな髪型になっていました。
家を出る時に彼の親は、その姿を見て直そうとか帽子をかぶらせようとかしなかったのでしょうか。

それにしても後ろ姿というのは自分では見る事が出来ません。人間の目は前方しか見る事の出来ないように作られています。

ではそんな後ろ姿に気を使うにはどうしたらいいかと言うと、方法は主に2種類で、鏡を使って合わせ鏡のようにしてチェックするか、それとも誰か別の人にチェックをしてもらうか、だと思います。

人気漫画ワンピースに出てくるフランキーというキャラクターがいます。彼はサイボーグで、銃などで撃たれても跳ね返してしまう鋼鉄の体の持ち主なのですが、そのサイボーグ化は自分自身で行ったため前身部のみであり、手が届かなかった背中は生身の人間のままでそこが弱点という設定になっています。

フランキーの例は極端ではありますが、現実の人間も意外と似ていて、普通に鏡でチェックの出来る前と横には気を配れるものの、どうしても後ろ姿にまでは気を配れないところがあります。

例えば前から見るときれいな黒髪なのに、後ろから見るとちらほらと白髪があったり、染め残しがあったり、襟首がひっくり返っていても気づかなかったりクリーニングのタグをつけたままだったり。
前から見るときちっとされたおカツラが、後ろから見た時にずれて地肌が少〜し露になっていた、というおじさまを以前見かけたこともあります。

そうならないためには、合わせ鏡などでチェックするなどといった自分自身による『工夫』か、家族や恋人などによる他人にアドバイスをもらう『指摘』や『相談』が必要になってきます。

ただこれらのことは何も姿見だけに言えることではなく、日々の生活における様々な事にも当てはまることだと思います。

僕は今年会社を設立しましたが、その経理を税理士さんにお願いすることにしました。そこで先日税理士さんに話をしに行くと、ついでなので昨年度の個人としての確定申告も行ってくれることになりました。
会社設立前は僕は個人事業主という立場だったためこれまで個人で確定申告を行ってきていたのですが、いざ税理士さんにお任せしてみるとあれこれ控除などを探ってくれて、結果として還付金が個人で計算していたときの5倍になりました。

僕自身もこれまでいろいろと学んで額を抑えようとはしていたのですが、それをしていても5倍もの差があり、僕はその方法を知らなかったわけです。でもそういった工夫は学校では習いませんし、誰が教えてくれるわけでもありません。自分で気がつくしかないのですが、どんなに注意深く生きていたって人間は人生の何でもかんでもを知り得るわけでもありません。

数年前に話題に上がったカードローンの過払い金問題や生命保険の不払い問題なども、そのような本人が「知らない」「気づいていない」という点につけ込んだ事件だったと思います。

そういった意味では、この複雑に入り組んだ現代社会ではこれから先も、このように「知らない」「気がつかない」ということで損をする、つらい思いをする、受けられるサービスを受けられない、ということも多いと思います。
専門家に相談をすれば解決するとは言っても、その専門家がどこにいるのか、どうやって相談すればいいのかということがわからなければ、結局は「知らない」「気がつかない」ままだと思います。

必要なのは、誰か気がついた第三者が教えてあげる。そういった社会システムが必要になってくるのではないでしょうか。

ザ・ドリフターズと言う音楽バンドでありコントグループは、あえて説明しなくても多くの日本人はご存知だと思います。
1969年から1985年まで放送された「8時だヨ!全員集合」という彼らが主演していた番組は、日本を代表するバラエティ番組として、今でも語り継がれています。
この番組の収録は観客を入れての公開放送だったわけですが、彼らの有名なコントの一つに、冒険やお化け屋敷などの設定で、ボケ担当の志村けんさんが後ろから来る猛獣やお化けに気がつかない。気配を感じた志村さんが振り返ると猛獣やお化けはサっと隠れて何もない。おかしいと思いながらも前に進む。気配を感じてまた振り返る、しかし何もいない。それを繰り返して最後に気がづいて驚く、というものがあるのですが、公開収録故にその最中に会場の小学生達から「志村、うしろー!」とアドバイスの声が上がります。
もちろんコント上ではこの会場の小学生達とのやりとりはないことになってますので、相手をすることなくコントは進んでいくのですが、毎回似たような設定時に会場から「志村、うしろー!」と叫ぶのは、当時の流行となっていました。

つまり何がいいたいのかと言うと、これからの時代、自分自身では努力をしようとも気がつかないことが社会の中にたくさんあり、それで損をしたり、しなくてもよいついらい思いをしている人たちは、ますます増えてくのではないかなと思うわけです。しかしそれがわかっていても自らが動かなければ国や行政は何もしてはくれない。
しかし自分で動こうにも何をどう動けばいいのかもわからないから、結局は「知らない」「気がつかない」ままになってしまう。
そんな時に、「志村、うしろー!」とアドバイスをしくれる人が、これからの時代ますます必要になってくるのではないかなと、今日街で見かけた小学生の寝癖を見て、僕はふと思ったのです。
posted by Coyama at 23:31| 思ったこと・感じたこと