2012年02月08日

悲しい世代の大人たち

今日とある先生の事務所へ会社設立の報告を兼ねて訪問したところ女性の先客が一人いて、深刻な雰囲気で話をされていました。
その後その先生はアポイントを取っていた僕との会合になったのですが、話を進めているうちに何か思うところがあったようで、まだ事務所に残っていたその女性を呼びました。
どうも彼女と僕は似たような境遇なのだそうですが、彼女は真面目すぎるので、僕みたいに前向きで楽観的なところを少し学ぶといい、とのことでした。

話を伺うと、どうも10年間育ててきたプロジェクトを認めてもらえず、行き詰まってしまったのだそうです。そして恩師であるその先生に相談に来たとのこと。
上司たちの横暴さや無理解さ、姑息さを涙目で訴える彼女。
しかし話を聞いているうちに、その背景に僕も日頃感じているとある社会問題がみえてきました。

これは本当に個人的な意見なのですが、どうも今の時代のある年齢層に、あまり好ましくない特徴があるように感じることがあります。

僕は子どもの頃からよくいろいろな人から食事をご馳走になることが多く、それはありがたいことに今でもよくあることです。ご馳走をしてくださる方々は、その行為をさりげなく、またごく自然に行われます。
そして何人かの方は「自分自身がかつて先輩や上司からしてもらったことをあなたに返しているだけ。だからいずれあなたが自分のような立場になった時には、今日の分は次の世代に返してあげてね」と同じことを言われます。
きっと何も言わずにご馳走をしてくださる方々も、同じような考えなのだと思います。

だから僕は後輩や年下の方々と食事やお酒を飲む時には、たとえ自分の懐が寂しい時でも、ご馳走するか一人多く支払うように心がけています。

ただ、本当にいろいろな人からご馳走になる中で、決してそういった行動をとらない方がいるのですが、ある時そこには共通点があることに気がつきました。それは不思議なのですが、その方々が1947年から1949年頃に生まれた、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる世代の方々の、男性なのです。

もちろんその世代の全員が全員というわけではないと思いますが、僕の経験の中には、この世代の男性の方々からご馳走になったということがほとんどありません。
なぜそう断言してしまうかというと、一緒に食事やお酒を飲んでいて、その時の状況や雰囲気から、その日はご馳走してくださるかなと思っても、決してそうされずに驚かされる場面が多く、強く印象に残ることが多いからです。
そしてそれは僕だからということではなく、ある日見かけて驚いたのは、団塊の世代の先生が教え子の学生さん1人を誘ってラーメンを食べに行ったときに、レジでの支払い時に学生さんの後ろに並んで、学生さんが自身の支払いを済ませた後で、自分の分だけ支払うといったことがありました。
また数人で飲みに行った時でも、年齢層にばらつきがあってもきちっと割り勘をしますし、注文する時にも安いものを好んで注文されることが多いように感じられます。

僕が学生時代にも、論文や進路のことで相談をする際に、多くの先生方がご馳走をしてくださりながらお相手してくださった中で、この世代の先生方だけは、それが学食で300円のカレーであろうと、不思議とご馳走しくれることはありませんでした。
僕のことが嫌だとかそういうことではどうやらなく、習慣として持たず、過去にそのようにご馳走になった経験がないので出来ないのではないかと推測しています。

ただこの世代のすぐ前後の年齢の方では、当たり前のように若者や後輩などにご馳走したり、複数での支払いの場では年配者だからと少し多めに支払いを出したりしています。
一緒に食事に行った際も団塊の世代の方々とは違い、値段よりもおいしそうかどうか、そのときの気分に合うかどうかで注文をし、そして最後に、すっと全部の会計を済ませてしまいます。

食事のことを言うと卑しく思われるかもしれませんが、このことは食事に限ったことでもありません。

人と人を繋ぐ、紹介する、仕事を紹介する、という場面においても、この世代はほとんど次世代のために行動することがないのです。
世のため・人のため・未来のため、という意識が薄く、“自分のため”ということが強く出ているように感じられます。

しつこく言いますが、あくまでこれは僕の周囲にいた人たちから感じたことで、決して団塊の世代の全員に当てはまることではないと思います。
しかし「団塊の世代 特徴」でネットで検索をすると、似たような指摘が多々出てくるということは、あながち偏った見方でもないのかも知れません。
自身で判断が出来ず、リスクや責任を嫌い、ケチで、物事は丸投げで、他人は老若男女みな競争相手。
そしてそのことを指摘すると、たしかに周囲の同世代はそうなのだと同調するのですが、自身だけは違うと思っているのも、それもまた特徴だと思います。

そして冒頭の女性の話の背景にも、どうも話を聞く限りではこの問題があるように思えました。
未来ある若者を応援しない。後輩や若者に対しても妬み、嫉み、足を引っ張る悲しい大人達が権限を持った今の社会。

だからといってもう人生も後半に差し掛かっている年長者でもある方々に変わってくださいとは言いません。
あえて僕がこのような主張をするのは、今の社会で大きな影響力を持っているのがこの世代であり、これからの時代を生き抜いて行く若者達の多くが、この世代から学んでいるという部分に、強く不安を感じるからです。

子は親の背中を見て育ちます。若者は先輩の背中を見て育ちます。
たとえ時が過ぎ団塊の世代の方々が社会の中心から退いたとしても、彼らに育てられた次世代は、同じことをするのか、それとも反面教師として自分たちは別の行動をしてくれるのか。

願うのは、これからの日本を背負って行く次世代の若者たちが、どんなに理不尽な思いを彼らから受けたとしても、彼らの真似をしないでほしいということです。

人の行動には主に2種類あります。自分がされて嫌なことを他人や後輩にはさせないか、もしくは人生での当然の経験だからと自分がされた嫌なことを他人や後輩にも求めるか。
どちらが正しくどちらが間違っているとも言いません。ただ、僕自身は前者でいたいと思っています。

言い過ぎかもしれませんが、団塊の世代の男性達を反面教師とし、人としてどうあるべきか、社会をよくするためにはどうすればいいか、未来ある後輩や子ども達のために明るい社会を築いていこうと、次世代の若者たちが自分たちで考えるようにならない限り、この先の未来の日本には夢も希望もないのではないかと、あくまで個人的な意見ですが、僕は常々そう思うのです。
posted by Coyama at 23:41| 思ったこと・感じたこと