2012年02月04日

自然から学ぶ

昨夜から長野県の小諸市に来ています。標高約800mに位置する小諸はとても寒いです。
今回も来てみると宿泊拠点のアパートのメインの部屋の水道を止められていたり、予備の部屋はあまりの寒さに排水口が凍っていたり、農地で火事を起こして消防車を呼び始末書を書かされたりとハプニングの連続。その火事のことについては後日改めて書きたいと思います。

小諸には2009年の1月に初めて訪れ、以後月に1回程度訪問し続けて3年が経ちました。
そもそものきっかけは、東京都杉並区に住む方が2008年にお父様を亡くされた際に、小諸市内のアパートと農地・山林を相続したことでした。しかし相続したアパートは4室ある全室が空室、農地と山林は30年以上耕作をしていない耕作放棄地で、その使い道に困り、広く周囲に活用のアイデアを求めたことから始まりました。

それからの経過はホームページがありますのでそちらをご覧いただければと思います。
こもなみ倶楽部ホームページ

この活動のため僕は月に1度は小諸を訪れているのですが、多くの人たちからは僕が農業をやっていると思われているらしく、噂を聞いたという人たちからは会うとよくそのように言われます。

もちろん僕も農作業や食には興味がありますしそれも間違いではないのですが、僕自身が小諸に来て農作業に関わっていることにはもっと別の理由があります。

大学の頃から僕は建築家を目指し建築設計の勉強をしてきているのですが、そのベースを築いた大学・大学院の時期に、僕は恩師から自然から形を学ぶことの大切さを教わりました。

僕の恩師は僕が大学院の修了と共に引退をされたのですが、その最終講義の中でも、学生に贈る言葉としてアメリカの建築家であるフランク・ロイド・ライトの言葉を引用していました。

それは次のような言葉です。

「心の底から建築家にとって、何が根本的に重要か。もたねばならぬものはなにか」
と、弟子たちに問い掛けました。そして言葉を続けました。
「建築家は健康でなければならない。強くなければならない。なによりも強い性質、強い心、強い筋肉をもたねばならない。人生を知らねばならない、人生を学ぶことによって知らねばならない。
それでは、人生を首尾よく、じかに学ぶにはどうしたらいいのか。
生きることによって。
人生を生きることは・・・
まず自然を学ぶことである。
・・・・・君たちの人生は来たるべきものの形をつくり、その形を決定することである。
君たちは形に従うものであり、形を知るものである。
そうでなければ、君たちは本当の建築家ではない。
だが、このような建築家をつくるには長い時間がかかる。」

ちなみに随分達者な日本語ですが、この文章は翻訳されたもので、元は英語ですよ。

デンマークに渡った後も、僕は常にその姿勢で学び続けました。
その時に感じたデンマークと日本のデザイン教育の大きな違いが、日本ではデザインと言うと“見た目”や“かっこよさ”が主だった評価基準になるのですが、デンマークではまずは考え方や思想があって、そこから形を生み出す、ということに重点をおいているというものでした。
日本ではまずは人の手によって創られた“出来上がっている何か”を手本にしようとします。もちろんそれも間違いではないと思いますが、そもそも形というものは自然から学ぶものであって、人自身や人が創ったものから学ぶものでもありません。
人自身や人が創ったものから学んでいることは、それは創造ではなく模写や模倣だと思います。

大学で建築を学び始めた頃、僕はよく建築のガイドブックを手にいろいろな建物を見学しにいきました。
授業や建築雑誌などで素晴らしいと評価されている建物や空間を、時間やお金を使って見に行っていました。
しかしどうにもそのことに違和感を感じていました。いいな、と思うような空間にほとんど出会わないのです。

そんな中、旅行で群馬県の榛名神社訪れた時に、素晴らしい空間だなと感じました。
自然の中に、無理なく建物が納まっている。起伏や切り立った崖などがある中に建物が自然と一体化していると感じました。
こういうのがいい空間で、こういうのが素晴らしい建築であり、本来の建築なのではないかと感じたのですが、そのことを大学院の時の授業で話したらやはり誰からも相手にされませんでした。

唯一恩師だけは理解をしてくれたのを覚えています。「榛名神社というのは木こりの神が祀られていて、お堂の中にはノコギリが納められている。」といった話をしてくれました。そして「形というのは自然から学ぶものだよ」と。
あれから10年以上経ちましたが、今でも僕の考えは揺らいでいません。

僕が小諸に来て農作業をしているのは、決して農業をしたいからではなく、自然に触れ、自然から形や色彩、表現を学びたいからです。

作物の成長、作物の色の変化、四季の移ろい、自然の土のかたち、踏んだ後の土の形、耕した後の土の形、木のかたち、風の吹き方吹かれ方、陽のあたり方陰り方 などなど。
そこにあるすべてが、僕にとってはデザインや芸術を学ぶための教材であり、教師達なのです。

芸術を生み出す根源は、やはり自然に触れることだと思います。
今の時代、日本にはたくさんの教育機関がありたくさんの教員がいて、そしてたくさんの若者たちを指導していますが、そのことに気がついている人たちはほとんどいないように感じています。

もしかするとただ僕が出会っていないだけなのかもしれませんので断言はしません。ただ僕が知っている限りでは、現在日本の多くの教育現場では「見た目がいい」や「かっこいい」ということが重要視されているように感じているのです。

それを避難するつもりはないのですが、そんな環境を考えると、本当に僕は今、すごく恵まれた環境にいるんだなということを実感し、日々感謝をしています。そして少なくとも僕より未来の後輩達のために、僕は多くある選択肢のひとつを作れればと思っているのです。
posted by Coyama at 21:53| 思ったこと・感じたこと