2012年02月09日

上を向いて歩こう

デンマークの語学学校にいた頃、各国の生徒たちがそれぞれの歌を歌うと言うイベントがありました。
その時我々日本人は、日本の歌ということで「上を向いて歩こう」を日本語で歌いました。

歌い終わった後、各国の生徒たちが拍手をしながら「その歌知っている」と言ってきました。
ドイツ人などは「ドイツでは失恋の歌なのよ」と言ってました。
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それから数年経ち、縁あって長野県小諸市に行くようになった頃、この「上を向いて歩こう」の歌詞は実は小諸で生まれたものだということを知りました。
そのため小諸市ではお昼の12時になると、この「上を向いて歩こう」のメロディーがスピーカーから流れます。

確かに小諸の持つ自然の恵みと夜に頭上に輝く満天の星空を見上げていると、「上を向いて歩こう」の歌詞が生まれたときの状況が目に浮かぶくらい、美しく豊かな環境がそこにはあります。
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ところが最近になって、この歌詞の誕生には実はそれほど美しくない逸話があることを知りました。
というのはこの歌詞は、作詞した永六輔さんが、疎開先の小諸でいじめを受け、懐古園でひとり悔しく泣いていた時に生まれたものなのだそうなのです。
現在懐古園にはこの「上を向いて歩こう」の碑があるらしいのですが、この碑の建造の時にも、そのつらい思い出から永六輔さんは承諾を最後まで渋ったのだそうです。
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それでも、その歌詞は今では世界中に知られる日本を代表する歌になっています。

先日、内閣府が自殺防止対策活動に「GKB47」と名付けて発表したものの、すぐに不謹慎だということで撤収したと言うニュースがありました。ちなみにこのGKBというのは「ゲートキーパー」と浸透を願う「ベーシック」の頭文字に「AKB48」を真似て47都道府県の47をつけたのだそうです。
おそらく流行っているからという理由で作った、浅はかな標語なのだと思います。

永六輔青年が小諸で、いじめを受けて傷ついた心に浮かんだ歌詞。でもそこにはつらくても前向きに進もう、という思いがあった。
そしてその歌はやがて小諸を飛び出し、海を越え、世界に広まり、日本を代表する歌の1つになった。
そういった意味では、この「上を向いて歩こう」という言葉を自殺防止対策活動の標語に使った方が、よほど深く、また適しているのではないでしょうか。

日本は今、年間の自殺者数が3万人を越える異常な社会になっていると言います。
人生には、それはそれはいろいろなことがあります。一生幸せて安泰に暮らせる人生を送る人はまずいません。

怒りや悲しみを経験することも数多い。それでも、死にたいくらいにつらいことがあっても、それでも決して悪いことばかりでもない。
人はいつか必ず死にます。遅かれ早かれ死は生きている人間には必ずやってくる。
だったら、自ら死を選ぶ勇気があるのであれば、その残りの人生を、誰かのために生きてもいいのではないかと、僕は思っています。

人は人のためになることをして、はじめて生きている意味を感じるといいます。
家の周りの掃除でもいい、交通量の多い交差点の見張りでもいい、道ばたの花壇の草むしりでもいい。何かしら、できることはあると、僕は思っています。
黙っていても人はいつかは死にます。何も死に急ぐことはない。
死んだ時に、地上で苦しんだ分だけ、きっとあの空の上で幸せになれる。

幸せは 雲の上に
幸せは 空の上に
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
泣きながら 歩く 一人ぽっちの夜

そうやって歌われる歌は、日本で愛され、さらに世界に知られて様々な国で歌われるという誰も想像しなかった広がりを見せました。僕は遠い異国の地で、その姿を見ました。
だからどんなにつらいことがあっても、上を向いて歩き、涙を拭いて前に進み、生きていく・生きていることが大事だと、きれいごとと言われようが、僕は思っているのです。
posted by Coyama at 23:34| 思ったこと・感じたこと

2012年02月08日

悲しい世代の大人たち

今日とある先生の事務所へ会社設立の報告を兼ねて訪問したところ女性の先客が一人いて、深刻な雰囲気で話をされていました。
その後その先生はアポイントを取っていた僕との会合になったのですが、話を進めているうちに何か思うところがあったようで、まだ事務所に残っていたその女性を呼びました。
どうも彼女と僕は似たような境遇なのだそうですが、彼女は真面目すぎるので、僕みたいに前向きで楽観的なところを少し学ぶといい、とのことでした。

話を伺うと、どうも10年間育ててきたプロジェクトを認めてもらえず、行き詰まってしまったのだそうです。そして恩師であるその先生に相談に来たとのこと。
上司たちの横暴さや無理解さ、姑息さを涙目で訴える彼女。
しかし話を聞いているうちに、その背景に僕も日頃感じているとある社会問題がみえてきました。

これは本当に個人的な意見なのですが、どうも今の時代のある年齢層に、あまり好ましくない特徴があるように感じることがあります。

僕は子どもの頃からよくいろいろな人から食事をご馳走になることが多く、それはありがたいことに今でもよくあることです。ご馳走をしてくださる方々は、その行為をさりげなく、またごく自然に行われます。
そして何人かの方は「自分自身がかつて先輩や上司からしてもらったことをあなたに返しているだけ。だからいずれあなたが自分のような立場になった時には、今日の分は次の世代に返してあげてね」と同じことを言われます。
きっと何も言わずにご馳走をしてくださる方々も、同じような考えなのだと思います。

だから僕は後輩や年下の方々と食事やお酒を飲む時には、たとえ自分の懐が寂しい時でも、ご馳走するか一人多く支払うように心がけています。

ただ、本当にいろいろな人からご馳走になる中で、決してそういった行動をとらない方がいるのですが、ある時そこには共通点があることに気がつきました。それは不思議なのですが、その方々が1947年から1949年頃に生まれた、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる世代の方々の、男性なのです。

もちろんその世代の全員が全員というわけではないと思いますが、僕の経験の中には、この世代の男性の方々からご馳走になったということがほとんどありません。
なぜそう断言してしまうかというと、一緒に食事やお酒を飲んでいて、その時の状況や雰囲気から、その日はご馳走してくださるかなと思っても、決してそうされずに驚かされる場面が多く、強く印象に残ることが多いからです。
そしてそれは僕だからということではなく、ある日見かけて驚いたのは、団塊の世代の先生が教え子の学生さん1人を誘ってラーメンを食べに行ったときに、レジでの支払い時に学生さんの後ろに並んで、学生さんが自身の支払いを済ませた後で、自分の分だけ支払うといったことがありました。
また数人で飲みに行った時でも、年齢層にばらつきがあってもきちっと割り勘をしますし、注文する時にも安いものを好んで注文されることが多いように感じられます。

僕が学生時代にも、論文や進路のことで相談をする際に、多くの先生方がご馳走をしてくださりながらお相手してくださった中で、この世代の先生方だけは、それが学食で300円のカレーであろうと、不思議とご馳走しくれることはありませんでした。
僕のことが嫌だとかそういうことではどうやらなく、習慣として持たず、過去にそのようにご馳走になった経験がないので出来ないのではないかと推測しています。

ただこの世代のすぐ前後の年齢の方では、当たり前のように若者や後輩などにご馳走したり、複数での支払いの場では年配者だからと少し多めに支払いを出したりしています。
一緒に食事に行った際も団塊の世代の方々とは違い、値段よりもおいしそうかどうか、そのときの気分に合うかどうかで注文をし、そして最後に、すっと全部の会計を済ませてしまいます。

食事のことを言うと卑しく思われるかもしれませんが、このことは食事に限ったことでもありません。

人と人を繋ぐ、紹介する、仕事を紹介する、という場面においても、この世代はほとんど次世代のために行動することがないのです。
世のため・人のため・未来のため、という意識が薄く、“自分のため”ということが強く出ているように感じられます。

しつこく言いますが、あくまでこれは僕の周囲にいた人たちから感じたことで、決して団塊の世代の全員に当てはまることではないと思います。
しかし「団塊の世代 特徴」でネットで検索をすると、似たような指摘が多々出てくるということは、あながち偏った見方でもないのかも知れません。
自身で判断が出来ず、リスクや責任を嫌い、ケチで、物事は丸投げで、他人は老若男女みな競争相手。
そしてそのことを指摘すると、たしかに周囲の同世代はそうなのだと同調するのですが、自身だけは違うと思っているのも、それもまた特徴だと思います。

そして冒頭の女性の話の背景にも、どうも話を聞く限りではこの問題があるように思えました。
未来ある若者を応援しない。後輩や若者に対しても妬み、嫉み、足を引っ張る悲しい大人達が権限を持った今の社会。

だからといってもう人生も後半に差し掛かっている年長者でもある方々に変わってくださいとは言いません。
あえて僕がこのような主張をするのは、今の社会で大きな影響力を持っているのがこの世代であり、これからの時代を生き抜いて行く若者達の多くが、この世代から学んでいるという部分に、強く不安を感じるからです。

子は親の背中を見て育ちます。若者は先輩の背中を見て育ちます。
たとえ時が過ぎ団塊の世代の方々が社会の中心から退いたとしても、彼らに育てられた次世代は、同じことをするのか、それとも反面教師として自分たちは別の行動をしてくれるのか。

願うのは、これからの日本を背負って行く次世代の若者たちが、どんなに理不尽な思いを彼らから受けたとしても、彼らの真似をしないでほしいということです。

人の行動には主に2種類あります。自分がされて嫌なことを他人や後輩にはさせないか、もしくは人生での当然の経験だからと自分がされた嫌なことを他人や後輩にも求めるか。
どちらが正しくどちらが間違っているとも言いません。ただ、僕自身は前者でいたいと思っています。

言い過ぎかもしれませんが、団塊の世代の男性達を反面教師とし、人としてどうあるべきか、社会をよくするためにはどうすればいいか、未来ある後輩や子ども達のために明るい社会を築いていこうと、次世代の若者たちが自分たちで考えるようにならない限り、この先の未来の日本には夢も希望もないのではないかと、あくまで個人的な意見ですが、僕は常々そう思うのです。
posted by Coyama at 23:41| 思ったこと・感じたこと

2012年02月07日

デンマーク体操

そういえば先日知人との会話の中で『デンマーク体操』の話が出てきたので書いておこうと思います。

日本人であれば『ラジオ体操』は誰もが知っている体操だと思います。
僕も子どもの頃は毎朝小学校の校庭に通い、ラジオ体操をしてはスタンプを押してもらうのを楽しみにしてました。

実はそんなラジオ体操はデンマークから来た、というのは御存じでしょうか?意外と知られていないんですよね。

今から半世紀ほど前のこと、農業大国であるデンマークには当時も多くの農民がいたのですが、彼らは仕事の合間などに健康を考えて、独自の体操をしていました。
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そんな体操の噂を聞いた日本人の男性2人女性1人の若者3人は、日本から遥か彼方のデンマークへ、その体操を習得するために船旅へ出ました。しかし当時は今と違いその道のりも険しく、男性2人は旅の途中で病死してしまい、女性1人だけがデンマークへと辿り着いたのだそうです。

彼女は志し半ばにして倒れた2人の同志のためにも、なんとしてでもこの体操を習得して日本へ持ち帰り広めよう、と堅く決意をしました。

数年後、その夢は彼女と共に日本へ渡りました。彼女の持ち帰った体操は『デンマーク体操』として、当時の日本海軍の健康づくりに用いられるようになりました。今でもご年輩の方にはこの『デンマーク体操』は有名らしいです。

そんな『デンマーク体操』がやがて軍隊だけでなく一般の人々にもできるようにと形を変えたのが、『ラジオ体操』なのだそうです。
『デンマーク体操』の詳しい動きはよくわかりませんが、『ラジオ体操』の中には『デンマーク体操』の動きが多く含まれているのだそうです。
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半世紀前に若者がデンマークで追った夢が、実は今の我々日本人の健康を作っているのかもしれません。
そんな身近なところにも、日本とデンマークとの意外な関係があるんです。

形こそ違いますが、今の時代にも夢をもってデンマークや他国に渡り勉強している多くの日本人の若者がいます。

信念を持って学び進んでいれば、きっといつか実る日が来ると思います。
今や日本人が誰でも知っているラジオ体操が、それを物語ってくれているのではないでしょうか。
posted by Coyama at 23:06| デンマークのこと

2012年02月06日

人生に嬉しいサプライズを

昨日の日曜日に、僕は今週誕生日の友人へサプライズケーキを仕掛けました。
結果は大成功。不意をつかれた友人はあまりに予想外だったためカメラ付きのiPhoneを持ってくるのを忘れており、せっかくのケーキの写真を撮り損ねていました。ただそのくらいの不意を突かないとサプライズにはなりませんからね。
喜んでもらえたようで、仕掛けた側としてもとてもハッピーな気持ちになります。
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僕はこういったサプライズや贈り物をよく友人たちに仕掛けます。理由は単純で、“ただ喜んでもらいたいから”です。

ではなぜ僕がそのようなことをするかというと、それが自分自身がサプライズをされた経験があるからだと思います。
不意を突かれたときの思いもがけない贈り物は、本当に嬉しいものです。

僕がされたサプライズで今も心に残っているのは、10年前にデンマークの語学学校にいた頃。ある日茶色い封筒が日本から届いていて、中を開けてみるとそこから出てきたのが「サッポロ一番みそラーメン」と「消臭炭」でした。
普通の人にとってはまったく意味のないものではありますが、その当時の僕にとっては送り主の方とのメールのやり取りの中に出ていた話題で、まったくそんなものが届くとは思っていなかった僕は不意を突かれ、そして嬉しくて思わず声をあげたことを覚えています。
結局はその心遣いがあまりに嬉しくて、その「サッポロ一番みそラーメン」は食べられませんでした。
なのでその時送られて来た「サッポロ一番みそラーメン」は、賞味期限をとっくに過ぎた今でも当時の封筒に入ったまま、我が家にあります。
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またその翌年、コペンハーゲンに住んでいた頃、日本人の知人のところに漫画「花より男子」が置いてあり、1巻からずっと読ませていただいたのですが、そこに35巻まではあったものの最終巻である36巻が当時まだ発売されてなく、とても結末が気になっていました。

そんなことを当時インターネット上で公開していた日記に書いたのですが、するとある日、僕のもとに発売されたばかりの最終巻が届いたのです。
まったく予期していなかったその贈り物に、封を開けた瞬間思わず仰け反りました。

そういう嬉しい体験があるので、僕は人に対してサプライズや贈り物をしているのだと思います。

サプライズや贈り物もただ贈ればいいというわけではなく、その人がその時にもらって嬉しいものを想像し、かつ不意を突くような演出をしなければいけません。
簡単なようで準備や手配には手間がかかりますし、何をどのように仕掛けるとよいのか想像力も要求されます。ただその手間をかけた分だけ、喜びも大きくなる。

そしてもちろんサプライズや贈り物に対しては、僕はお返しを期待しています。ただしそれは僕に対してではなく、別の誰かに。

もし僕が仕掛けて嬉しかった思いをしたら、された人は今度は別の誰かにお返しでサプライズや贈り物を仕掛けてもらいたいと、いつも思っています。そうすると僕の仕掛けたサプライズや贈り物は、さらに広がってより多くの人たちを喜ばせることになるからです。

実は現在も、別のところであるサプライズを仕掛けています。無事に届いて、喜んでくれるとよいのですが。

楽しんでも悲しんでも人生は同じく一度きり。だったら楽しく生きた方がいいでしょう?
posted by Coyama at 22:54| 思ったこと・感じたこと

2012年02月05日

火事から学んだこと

今週末は「こもなみ倶楽部」の活動で小諸へ行ってきました。
今回は麦踏みと農地の野焼きを行う予定だったのですが、その野焼きを行った際に火が隣接する荒廃農地に燃え移ってしまい消防車まで呼ぶ惨事となってしまいました。

そもそも野焼きは昨年も同じ時期に行っており、今年もということで4日の土曜日に決行し、朝の10時から作業を始めました。
農地の土手などに生えている枯れ草に火をつけると、一気に燃え広がっていきます。不謹慎ではありますが、正直なところこのような火付け作業は楽しく、ついつい燃やしたがってしまいます。この日は4人で作業していたのですが、みな黙々と火をつけ、枯れ草が生えているところにはすべて火を放っていました。
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農地の草はお昼にはすべて焼き切ったのですが、午後に人を待っている間に寒さもあり、僕が隣の敷地と隣接する部分に残っていた草に火をつけて暖まっていたところ、火が風に煽られ20cmぐらいある溝を越えて隣へ燃え移り、瞬く間に勢いを増して隣接する荒廃農地に燃え広がりました。
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火が広がり始め、すぐにその場にいた4名で消火活動をしたのですが追いつかず、119番通報をして消防車を呼び、なんとか隣接の荒廃農地を焼くだけで収まり拡大は免れ、被害も最小限で食い止めることが出来ました。
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それでも警察と消防の方が計測した焼却面積は1,754平方メートル。

火の早さと勢いには、本当に恐ろしいものがありました。火の危険性は十分に知っていましたが、実際に目にすると改めて自然の驚異と恐ろしさを痛感し、反省しています。
ただその体験の中でいろいろなことに気がつかされたので、それをいくつか書いておきたいと思います。

1.慣れ
まず野焼きに関しては、我々に「慣れ」があり、そこからくる油断が今回の惨事にも繋がったと考えられます。
実はその日の午前中にも一度、焼いた荒廃農地に火が燃え移った危ない場面がありました。その時はなんとか燃え広がる前に火を消し止めたのですが、その後何事もなかったかのように我々は野焼きを再会していました。
また本来このような作業を行う際には役所に届け出を出さなければいけないのですが、1年目はきちんと提出していたものの、2年目となる昨年の野焼きの際に「この程度のことであれば出さなくても大丈夫だよ」という地元の方のアドバイスを受け、昨年も今年も届け出を出していませんでした。
もちろん日々の注意が足りない訳ですが、そこには人間の持つ「慣れ」という性質もあったと思います。

火に限らず、草を刈る際に利用する刈り払い機なども、扱いには十分な注意が必要で、本来はこぼれた刃が顔などに飛散するのを防ぐ防護ヘルメットなどを着用する必要があるのですが、慣れてくるとそれらを装備をしないまま作業を行ってしまうことがよくあります。そしてその慣れがいずれ怪我や事故に繋がる。しかし起こってからでは遅いのです。

今回の火事事件では、そのような「慣れ」に気づかされるよい機会となりました。以後気をつけたいと思います。


2.地元の消防団
火が広がった時点で、これは我々だけでは手に負えないと判断し、すぐに119番通報をしました。
そして消防署から火事の知らせを受け、地元の消防団の方々も数多く駆けつけてくださり、その数は最終的には50人以上いました。
まずはその方々へ、お詫びと感謝を伝えたいと思います。この度はご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。

この消防団の方々なのですが、比較的若い方々も多く、この地域にそれだけの若い人たちがいたという驚きがありました。
というのも農地のある地域でも他の地方都市同様に高齢化が進んでいて、若者の数も少ないと思っていたからです。それでも実際の数は多いということではないのかもしれませんが、今回の規模にはそれこそ多いくらいの消防団の方々が駆けつけてくださいました。

今回は比較的早く消防車が駆けつけてくださり多くの消防団員のおかげで拡散は免れましたが、これが若者の減少が深刻な地方都市ではどうなることか。

その後、今回の出来事を小諸の知り合いの方々に話すと「災難だったねぇ。ほんとそういうのはここら辺でも年に数回、よくあることだよ。」とみなさん笑って話してくださいました。空気が乾燥しているこの季節、このような火事は本当によく起こることなのだそうです。
そしてこれは小諸に限った事ではないと思います。

これからの少子高齢化社会の、地方都市において、このことはとても深刻な問題だな、ということに気づかされました。


3.荒廃農地の増加と所有者
今回焼いたのは、こもなみ倶楽部が管理している農地の隣にある荒廃農地です。ここは以前から雑木林が生い茂った荒廃農地になっていたのですが、2年ほど前に売却され、その際に一度整地されました。今回はそこに生えた雑草の枯れ草燃え広がりました。

その後、今回の被害報告作成のため警察の方がその土地の所有者を調べる事になったのですが、その地域の方々が誰もその土地の所有者を知らず、調書や広報が作成できないという事で警察の方が困っていました。
土地の売却ことを知る近所の方も「2年ぐらい前に他市の人が買って、一度挨拶に来たけれども、名刺も何も置いていかなかったからどこの誰だかわからない。」と言っており、その地域を管理する区長さんもその土地に関しては売られた事は知っていても新たな所有者は知っていませんでした。

その地域で昔は知っていた隣の農地が、現在は誰のものなのか、近所の人も自治会も誰も知らない。
これも、現在多くの地方都市で起きている問題だと思います。


4.地方都市の高齢化問題
今回被害のあったのは隣の荒廃農地でしたが、その先にある現役田んぼの畦も一部焼いてしまいました。
隣の荒廃農地とその先の田んぼの間には40cmぐらいの側溝があったのですが、火はそれをも飛び越えて燃え移りました。
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その後その現役田んぼの所有者のお宅へ謝罪をしに行ったのですが、その方はご高齢の方で、奥様との2人暮らしで後継者もいないと話されており、そんな中で田んぼを細々とやっているのだが寒いときは外には出ないので暖かくなるまでは現場は見に行かない、と話されていました。原状回復してくれればそれでよいから、と。

そのような状況の方というのは、増えてきているのだと思います。そしてその方の田んぼも、ご本人もいつまで続けられるかわからないといい、荒廃農地になるのもそう遠くはないのかもしれません。
もともと我々こもなみ倶楽部が使用している農地も30年以上の荒廃農地でした。そして今回焼いた隣の農地も荒廃農地。さらにそのお隣もそう遠くない未来に荒廃農地になる可能性もある。

地方都市における地域住民の高齢化は、そのような農地荒廃の拡大にも繋がって行くという事を、改めて感じさせられました。


5.農地の宅地転用
今回は農地だったため被害がなかったことが幸いですが、もし火が人家になどを襲っていたらそれこそ取り返しのつかない大惨事になっていました。
今回の農地の近くにも人家がいくつかあります。
以前はそこら一帯は農地だったわけですが、前述の高齢化や荒廃農地の出現で土地の売却や相続などにより、農地を宅地に転用しそこに住まいを建てる人も増えてきています。

そのような現状の中で今回起きたような火事が隣接する人家を襲う可能性は今後も十分にあると思いますし、これも小諸に限った事ではなく日本全国に共通する問題だと思います。地方都市に行くと広い農地の中に住宅がぽつんと建っているのを見かけることも少なくありません。
今はまだ周囲が活用農地や田んぼとして使用されているため手入れも行き届いていますが、前述のようなことからもそれらがいつ荒廃農地になるかはわかりません。
そういった中で、どこかで火の手が上がり、人家にまで達するという事も十分に考えられます。そしてその際に火消しとして駆けつけてくれる若い消防団員がいないということも。


火事の件は反省しつつ、一方でこのような問題に気づく貴重な機会となりました。
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最後に、再度この度ご迷惑をおかけした皆様に、お詫びとともに尽力と寛容な受け入れへの感謝をいたします。

とにもかくにも、みなさまも火の取り扱いには十分に気をつけください。
posted by Coyama at 23:50| 思ったこと・感じたこと