2012年02月14日

今を楽しむ

(※この記事は文章が定まってなくあまりイケてないので、徐々に書き直します)

目標を持って、それに向かって生きることがこんなにもつらいことならば、夢なんてみるもんじゃないな、といつも思います。

今の日本で生きている多くの人たちは、明日の安定を求めて、徐々にどこかで社会と妥協をしていくのだと思います。
そして気がつくと人々は夢や希望を忘れ、自分が何がしたいのかではなく、社会が求めている姿に自分をはめ込むようになり、社会に“生かされる”ようになっていく。
夜遅くに郊外へ向かう電車に乗っていると、笑顔よりも疲れきった乗客のほうが遥かに多い。みな「疲れたぁ」といったどんよりとした顔をしている。「あぁ、今日も一日よく働いたぞ!楽しかったぁ!」と清々しい笑顔の人を見かけることはほとんどありません。

これまでの自身の経験の中でも、例えば海外留学をされた方々を見ていると、多くの人たちが帰国する時にあまり楽しそうではないように感じられます。
みなさん最初は笑顔だった。それは初めは夢があって留学したわけで、それが叶った時に人は笑顔になるわけです。そしてそこには希望があった。でも、多くの人たちは帰国する時にあまり楽しそうな顔をしない。本当はこれから学んだことを活かしていく、希望ある“はじまり”のはずなのに、“終わった”と思ってしまうから笑顔になれないのかなと思っています。

僕は10年前にデンマークへ行くときは泣きながら向かい、帰国するときは笑顔で帰国しました。その時の僕はデンマークでの経験をそこで終わらせるつもりはなかったので、未来への希望でワクワクしながら帰国しました。
そして今でも僕は時々デンマークへ行ってますし、デンマークで学ばせてもらったことを自分の人生の中で活かしていますし、この先も活かしていくと思います。

10年前にデンマークに行く前に、僕は恩師から次のような言葉をもらいました。
『留学で学ぶべきことは、技術や知識を得ることではなく、その国の人の生き方や考え方を学ぶこと。』

海外留学をすると、どうしても限られた時間の中で出来る限りの成果をあげなければいけないと思いがちになる人が多いと感じます。
でも実際にその国の人の生き方や考え方を学ぼうと思ったら、真面目に机にかじりついて勉強だけするのではなくて、滞在を楽しむこと、遊ぶことが重要ではないかなと僕は思っています。

今を楽しむ。

これは海外で学ぶ人たちだけでなく、日本でも今を生きている人たちに必要なことなのではないかと思います。

僕も毎日つらいです。苦しみのなかで生きています。でも、絶対に人前では笑顔を絶やさないようにしようと心がけています。

そのこともデンマークにいた頃に学んだことです。当時恩師が僕に送ってくれた手紙に、こう書かれていました。

『健康に気をつけ、いつもニコニコ元気で、礼儀正しく、常に感謝の気持ちを忘れずに、何事にも自信を持って挑めば、必ず道は開ける。諦めずに挑戦することが大切。』

僕がデンマークでの滞在で学び得たことは、この言葉に凝縮されています。
そしてその時に身につけたこの言葉は今でも心に留め、未来への道を自分で切り開こうと、これからもいつも笑顔で挑戦していこうと思っています。 

僕は他人にどうしろと上から偉そうに道を示すつもりはありません。でも、最近は世の中に言いたいことがいっぱいあります。

「あなただけが懸命に生きているわけじゃない。あなただけがつらいわけじゃない。みな同じように苦しみや悲しみを抱えて生きている。この世に生きている限り、人が思うこと、抱えることはみな同じ。だからみんなで一緒に、今の時代を歩いていきましょうよ。僕も今を懸命に生きますから、みなさんにも懸命に生きてほしい。そして人生を楽しんでほしい。」

人生を楽しんでいる人が、素敵な笑顔になれるのだと思います。
そしてそんな素敵な笑顔の人って、輝いて見えますよね。
僕はもっと多くの大人たちに輝いていて欲しいと思っています。

だって大人が輝いてくれないと、これからの子どもたちが、夢も希望も見られないじゃないですか。
posted by Coyama at 23:55| どうでもいいこと

2012年02月13日

オットーさんのスキヤキ

先日も書いた世界に知られる日本の名曲「上を向いて歩こう(洋曲名「SUKIYAKI」)」。
http://faelles-design.sblo.jp/article/53543351.html

この曲は1961年に日本で発売されて瞬く間に大ヒットを記録し、その2年後の1963年には全米で日本語原曲のままミリオンセラーを記録してしまいました。

しかし実は全米で発売される前年の1962年に、すでにこの「SUKIYAKI」はイギリスのケニー・ボール楽団によってカバーされ、全英トップテン入りをはたすなど、ヨーロッパでは話題になっていました。
ただしこの時の「SUKIYAKI」には歌詞はなく、メロディだけのインストゥルメンタルでした。

その後このケニー・ボール楽団の「SUKIYAKI」がアメリカで演奏され、その原曲である坂本九さんによる日本語原曲に注目が集まり、ラジオから広まって、やがて唯一の日本語曲のゴールドディスクとして日本とアメリカの歴史に残っただけではなく、世界中に広まり世界で愛される曲になったわけです。

そんなオリジナルの「SUKIYAKI」か、ケニー・ボール楽団の「SUKIYAKI」か、どちらから影響を受けたのかはわかりませんが、全米で「SUKIYAKI」が発売された1963年と同じ年に、なんとデンマークでもデンマーク語バージョンの 「SUKIYAKI」が発売されています。

デンマーク語バージョンの「SUKIYAKI」は、デンマークでも有名な歌手であり俳優でもあるOtto Brandenburg(オットー・ブランデンブァーグ)さんによってカバーされました。

1934年に生まれ2007年に亡くなられたオットーさんは、1957年にBent Werther、Poul Rudi、John Mogensenの4人グループ「Four Jacks」としてデビューをしました。しかし翌1958年にはソロ活動を開始します。

そして1960年に「To Lys På Et Bord(テーブルを照らすふたつの灯り)」でその年のデンマークの音楽賞 "Dansk Melodi Grand prix" の大賞を受賞し、一躍その名をデンマーク全土に知られようになりました。
http://www.youtube.com/watch?v=NALuYQEbBpA

その後、オットーさんは数々の音楽を世に送り出しながら、音楽だけではなく俳優としても活躍。多くの映画やテレビドラマに出演し、デンマークを代表するアーティストとして活躍をしました。

そんなオットーさんが、1963年に全米で「SUKIYAKI」が大ヒットを記録したのと同じ年に、デンマーク語バージョンの「SUKIYAKI」を発売しているのです。

聞いてみたいですか?
オットーさんによるデンマーク語の「SUKIYAKI」はここで聴くことが出来ます。
http://www.youtube.com/watch?v=bW2a9sbcgHY

オットーさんがどのような経緯でこのカバーに辿り着いたのかはわかりませんが、こうしてデンマーク語でもカバーされてしまう世界の「SUKIYAKI」。
それだけこの日本の曲には、世界中の人々から共感を得られる何かを宿しているのだと思います。
posted by Coyama at 22:58| デンマークのこと

2012年02月12日

借りてきた言葉と自分の言葉

僕は本をよく買います。基本的には気になった本は善かれ悪しかれとにかく購入して読んでみるのですが、あまり気乗りのしない本はまず本屋や図書館などで実物を手に取り、「目次」と「はじめに」を読み、中身の適当な部分を数ページほど読んでみて、購入するかどうかを判断しています。

先日知人から教えられた本があまり惹かれるタイトルではなかったため、中身を確認してから購入しようと本屋を訪れました。
その本はいわゆるまちづくりや都市計画に関係する本だったのですが、手に取って中身を見て、購入はしませんでした。

その後、その本が置かれていたまちづくりや都市計画に関するコーナーの他の本にも何冊か目を通したのですが、そこであることに気がつきました。
F1000882.jpg

そこに置かれていたまちづくりや都市計画に関する本の多くが、いわゆる事例集などというもので、全国のたくさんの取り組みを紹介している本でした。
しかし内容を見てみると、一人もしくは複数の編集者の視点からの考察でまとめられたものが多いように感じられました。
つまり“取材をされた”事例であって、“取り組んだ本人の記述による”事例ではないのです。
特にまちづくりや都市計画などは、分野的にもそのような本が多くなるのだと思います。

それら“取材をされた”事例集の存在を否定はしませんが、僕はそのようなものには興味がありません。

僕が知りたいのは、“編集者の評価や考え”ではなく、“実施者の言葉や考え”です。
誰かがやったことを第三者の視点でまとめられる文章には全く興味がありません。

例えば誰かが「目次:1.SONY、2.松下、3.東芝・・・」などとまとめた本にはまったく興味がないのです。
僕が興味あるのはその会社を設立されたり経営されている実践者である益田昭夫さんや松下幸之助さん本人の言葉。“益田昭夫著”、“松下幸之助著”といった本です。
実践者が苦労した話、失敗した話、成功に導くためにした工夫などを僕は知りたいし、それが書かれている本に僕は出会いたいと思っています。

今日「河北新聞社」が文藝春秋社から出している『河北新報の一番長い日 震災下の地元紙』という本を読んだのですが、その本は僕の要求を満たしてくれたよい本でした。
http://www.amazon.co.jp/dp/4163744703

内容は昨年3月11日の東日本大震災で被災した地元新聞社の、その時の状況を綴ったものです。
書き手は主に河北新報社の記者達によるもので、東日本大震災を舞台にプロの書き手によるプロフェッショナルな仕事について書かれたノンフィクションなのですが、自慢や押しつけではなく自分たちの言葉が書かれ、苦悩や失敗も納められていて学び得ることも多かったです。
それに震災当時の様子がよく伝わってきて、途中で何度も泣きそうになりました。

“編集者の評価や考え”というものには「借りてきた言葉」「どこかで教えられた言葉」「どこかで読んだ言葉」が多く、読んでいても軽い印象しか残らないのですが、“実施者の言葉や考え”には「本人の実体験から生まれた言葉」「頭から絞り出した言葉」「実体験をどこかで教えられた・聞いたことと結びつけた説得力ある言葉」が多く、深く心に残り、またとても勉強になります。

このことは本だけではなく、人が話をする時にも同じことが言えると思います。

僕の周りにも、自分の体験から出た自分の言葉を話すことができる人と、借りてきた言葉しか話せない人がいます。
実体験を元にした話をしてくれる人の話は聞いていてとても楽しく勉強になるのですが、借りてきた言葉で話す人の話は聞いていて途中で飽きてしまいます。

もちろん誰だって最初から自分の言葉を話せるわけではありません。最初は誰だって借りてきた言葉・教えられた言葉・聞いた言葉から始めるわけですが、それを自分の言葉にするのは、いかにその人生の中で自分で考え、判断・決断し、実行・実践してきたか、にあるのだと思います。
だから僕は、もっといろいろな経験や挑戦をしたいと思っていますし、話す時に借り物の言葉ではなく、自身の経験から出た自分の言葉を人に話せる大人になりたいと、常日頃思っているのです。
posted by Coyama at 22:15| 思ったこと・感じたこと

2012年02月11日

志村、うしろー!

今日街を歩いていたらすごい寝癖の小学生を見かけました。その寝癖はまるで飛行機の尾翼のような寝癖でした。
前髪であれば花形満のように格好もつきますが、その小学生の場合は思いっきり後頭部だったため、遠目で見てもおかしな髪型になっていました。
家を出る時に彼の親は、その姿を見て直そうとか帽子をかぶらせようとかしなかったのでしょうか。

それにしても後ろ姿というのは自分では見る事が出来ません。人間の目は前方しか見る事の出来ないように作られています。

ではそんな後ろ姿に気を使うにはどうしたらいいかと言うと、方法は主に2種類で、鏡を使って合わせ鏡のようにしてチェックするか、それとも誰か別の人にチェックをしてもらうか、だと思います。

人気漫画ワンピースに出てくるフランキーというキャラクターがいます。彼はサイボーグで、銃などで撃たれても跳ね返してしまう鋼鉄の体の持ち主なのですが、そのサイボーグ化は自分自身で行ったため前身部のみであり、手が届かなかった背中は生身の人間のままでそこが弱点という設定になっています。

フランキーの例は極端ではありますが、現実の人間も意外と似ていて、普通に鏡でチェックの出来る前と横には気を配れるものの、どうしても後ろ姿にまでは気を配れないところがあります。

例えば前から見るときれいな黒髪なのに、後ろから見るとちらほらと白髪があったり、染め残しがあったり、襟首がひっくり返っていても気づかなかったりクリーニングのタグをつけたままだったり。
前から見るときちっとされたおカツラが、後ろから見た時にずれて地肌が少〜し露になっていた、というおじさまを以前見かけたこともあります。

そうならないためには、合わせ鏡などでチェックするなどといった自分自身による『工夫』か、家族や恋人などによる他人にアドバイスをもらう『指摘』や『相談』が必要になってきます。

ただこれらのことは何も姿見だけに言えることではなく、日々の生活における様々な事にも当てはまることだと思います。

僕は今年会社を設立しましたが、その経理を税理士さんにお願いすることにしました。そこで先日税理士さんに話をしに行くと、ついでなので昨年度の個人としての確定申告も行ってくれることになりました。
会社設立前は僕は個人事業主という立場だったためこれまで個人で確定申告を行ってきていたのですが、いざ税理士さんにお任せしてみるとあれこれ控除などを探ってくれて、結果として還付金が個人で計算していたときの5倍になりました。

僕自身もこれまでいろいろと学んで額を抑えようとはしていたのですが、それをしていても5倍もの差があり、僕はその方法を知らなかったわけです。でもそういった工夫は学校では習いませんし、誰が教えてくれるわけでもありません。自分で気がつくしかないのですが、どんなに注意深く生きていたって人間は人生の何でもかんでもを知り得るわけでもありません。

数年前に話題に上がったカードローンの過払い金問題や生命保険の不払い問題なども、そのような本人が「知らない」「気づいていない」という点につけ込んだ事件だったと思います。

そういった意味では、この複雑に入り組んだ現代社会ではこれから先も、このように「知らない」「気がつかない」ということで損をする、つらい思いをする、受けられるサービスを受けられない、ということも多いと思います。
専門家に相談をすれば解決するとは言っても、その専門家がどこにいるのか、どうやって相談すればいいのかということがわからなければ、結局は「知らない」「気がつかない」ままだと思います。

必要なのは、誰か気がついた第三者が教えてあげる。そういった社会システムが必要になってくるのではないでしょうか。

ザ・ドリフターズと言う音楽バンドでありコントグループは、あえて説明しなくても多くの日本人はご存知だと思います。
1969年から1985年まで放送された「8時だヨ!全員集合」という彼らが主演していた番組は、日本を代表するバラエティ番組として、今でも語り継がれています。
この番組の収録は観客を入れての公開放送だったわけですが、彼らの有名なコントの一つに、冒険やお化け屋敷などの設定で、ボケ担当の志村けんさんが後ろから来る猛獣やお化けに気がつかない。気配を感じた志村さんが振り返ると猛獣やお化けはサっと隠れて何もない。おかしいと思いながらも前に進む。気配を感じてまた振り返る、しかし何もいない。それを繰り返して最後に気がづいて驚く、というものがあるのですが、公開収録故にその最中に会場の小学生達から「志村、うしろー!」とアドバイスの声が上がります。
もちろんコント上ではこの会場の小学生達とのやりとりはないことになってますので、相手をすることなくコントは進んでいくのですが、毎回似たような設定時に会場から「志村、うしろー!」と叫ぶのは、当時の流行となっていました。

つまり何がいいたいのかと言うと、これからの時代、自分自身では努力をしようとも気がつかないことが社会の中にたくさんあり、それで損をしたり、しなくてもよいついらい思いをしている人たちは、ますます増えてくのではないかなと思うわけです。しかしそれがわかっていても自らが動かなければ国や行政は何もしてはくれない。
しかし自分で動こうにも何をどう動けばいいのかもわからないから、結局は「知らない」「気がつかない」ままになってしまう。
そんな時に、「志村、うしろー!」とアドバイスをしくれる人が、これからの時代ますます必要になってくるのではないかなと、今日街で見かけた小学生の寝癖を見て、僕はふと思ったのです。
posted by Coyama at 23:31| 思ったこと・感じたこと

2012年02月10日

走る黒いトレンチコートの男

今朝京王線に乗って多摩から新宿へ向かう途中、車窓からボ〜っと外を眺めていると、多摩川に差し掛かったところで河川敷を走っている男性を見かけました。
その男性の服装は黒いトレンチコート。腰から下をひらひらとなびかせながら走っています。

しかしその走り方がどうもおかしい。なんだかジョギングをしているように、ずっと、一定のペースで走っているのです。

仕事場などへ急いでいるというような雰囲気でもありません。そもそも仕事へ向かっているとかであれば、そのコートにも見合うように鞄を持っていると思うのですが、手には何も持っていなければ背中にも背負っていない。

残念ながら角度と走行中で電車が離れていったため靴までは確認できなかったのですが、遠く離れながらも目で追っていても一定のペースが衰えることがありませんでした。

ちょっと小走りで瞬間を急いだという雰囲気でもなく、かなりの距離をずっと一定のペースで、姿勢よく走っていました。黒いトレンチコートを着て。

あれはなんだったのでしょうか。いくつか検討してみたいと思います。

・仕事場へ急いでる説
鞄は持たずに手ぶらで行ける仕事で、遅刻しそうなため走っていたのかもしれない。
しかしあまりあの河川敷は普段通勤者がいるような場所でもないし、最寄りの駅もかなり離れているので、その確率は少ない。

・トレンチコートがランニングウェア説
これはいくらなんでもないでしょう。

・何かから逃げている説・何かを追っている説
そういう雰囲気でもありませんでした。淡々と走っている感じでしたし、前も後ろも気にはしていなかった。

・撮影説
確かにごくたまに河川敷でテレビなどの撮影をしているのを見かけます。しかし今日は周囲にそれらしきクルーもいませんでした。

・相棒説
右京「僕はこっちを回ります、神戸君は向こうに回ってください。」
神戸「わかりました。」
といって犯人を追いつめようと神戸警部補が裏に周り先回りをしていたところ。
しかし現実そんなことはないと思います。

・変態説
まだ寒いですからね。それにズボンは履いていたみたいですので、これもないでしょう。

はてさて、多摩河川敷を走る黒いトレンチコートの男。その正体は謎のまま。
もしもう一度見かけるような事があれば、その時は「探偵ナイトスクープ」に投稿して優秀な探偵さんに調べていただこうと思っています。

走る黒いトレンチコートの男。その正体が気になります。
posted by Coyama at 22:22| どうでもいいこと