2012年02月19日

卒業論文と師

大学では最終学年の学生さん達が卒業論文や修士論文を提出し終わり、卒業に向かう時期となりした。
そんな学生さん達を見ていると、みなさん優れた論文を書こうとし、また多くの先生方がそれに対して熱心に指導されています。
ただ、正直なところそれら先生の中には、あまりきちんとした指導も出来ない方々もおられ、まだ何も知らない若者たちを経験貧しい言葉で指導しているように思えます。これからの人生の礎になるその大事な時期に、そのような方々から学ばざるを得ない若者が不憫でなりません。
個人的な意見ですが、ご自身できちんとした論文を書けないのに、若者に論文指導ができる方がいることに、僕は疑問を感じてしまいます。

きちんとした論文というのは、何も内容が優れているとか体裁が整っているということではありません。

卒業論文で大事なことは、本人が何をテーマにし、そのテーマをどう捉え、考え、どういう結論に至ったか。その考え方を学び、体得することに本質があると、僕は思っています。
その上で内容や結論がよければ、なお良し。

多くの人にとって、大学で書く卒業論文は、人生で最初の論文になると思います。しかしよほどの才能や経験もない限り、最初から素晴らしい論文などは書くことは出来ません。

数年前、日本の大学の建築学科で、大学院の修了作品に対するある学生賞の選考の場を覗く機会がありました。
その時に、最終的に2つの作品が候補として残されました。

1つは規模も大きく、見た目も派手で見栄えがよく、万人受けするであろう作品(以後A案)。
もう1つは、規模は小さく、地味であまり目立たない作品。しかし社会へのメッセージを込めた力強い作品(以後B案)。

選考委員の大半の先生方は、見栄えのするA案の作品を推していました。みなさん視覚的な素晴らしさを褒め、当たり障りのない講評をされていました。
そして特に反論もなく、その作品に大賞が決まりかかった時に、一人の先生がこう切り出しました。

『先生方のおっしゃることもわかりますが、私はB案のほうが大賞にふさわしいのではないかと思います。A案に比べるとB案は規模は小さいかもしれませんが、しかしこの作品は問題を自分で発見し、体を使って実体験をしながらその解決策を探り、提案をしている。この大賞にふさわしいのはB案なのではないでしょうか。』

建築の分野には花形の意匠・デザイン系から、他に都市計画系、構造系、歴史系などいくつかの分野に分かれています。
当然このような作品を評価される先生方は意匠・デザイン系の先生が多いわけですが、先のA案を推したのは多くの意匠・デザイン系の先生方でした。しかしB案を推した発言をされたのは、意匠・デザイン系の先生ではなく、歴史系の先生だったのです。

結局はB案を推したこの言葉が決め手で、B案が大賞に決まりました。

この先生の意見は、学ぶ事への本質をついた、指導者としても素晴らしい言葉だと思います。そしてその先生に学べる学生さん達は本当に幸せだなと感じました。

一方で、見た目や表面的なことを評価し、通り一遍の発言や講評しか出来なかった先生方と、その先生方に学んでいる学生さん達を不憫に感じました。

このことは建築の作品だけではなく、論文にも同じ事が言えると思います。
大事なことは見た目じゃなくて中身だということ。
なんだか恋愛論みたいでもありますが・笑

誰も最初から優れた論文などは書けません。大事な事は“いかに考えたか”だと思います。
卒業論文とは、結果結論の素晴らしさではなく、その過程が大事。自分がどうテーマをとらえ、どう考えたか。結論を導くために何をしたか。そういった考え方を学ぶ訓練だと、僕は思っています。

映画「男はつらいよ」の第40作『寅次郎サラダ記念日』の中で、シリーズの中でも有名なあるシーンがあります。
主人公の車寅次郎さんと、その甥の諏訪満男さんが、荒川の土手に座って会話をするシーンで、次のようなやり取りがなされます。

満男「おじさん、質問してもいいか?」

寅「あんまり難しいことは聞くなよ。」

満男「大学へ行くのは何のためかな?」

寅「決まってるでしょう。これは勉強するためです。」

満男「じゃあ何のために勉強するのかなぁ」

寅「ん?そういう難しいことを聞くなって言ったろ!つまりあれだよ。ほら、人間長い間生きてりゃ、いろんなことにぶつかるだろう。な。そんなときに、俺みてえに勉強してない奴は、この振ったサイコロで出た目で決めるとか、その時の気分で決めるよりしょうがないんだ。な。ところが、勉強をした奴は、自分の頭できちんと筋道を立てて、『はて、こういうときはどうしたらいいかな』と考えることができるんだ。だからみんな大学に行くんじゃねぇか。だろう?」

この最後の言葉は、学ぶという事がどういうことかということを示した、素敵な言葉だと思います。

僕がデンマークに渡り1年間の語学学校での勉強を終え、デンマークの建築大学への進学が決まった時に、僕の恩師がお祝いの手紙を下さり、その中で次のような論語の言葉を贈ってくれました。

*****
入学祝いに論語より次の言葉を贈ります。
『学而不思則罔 思而不学則殆』
真に身に付いた学問にするには、自分自身にあてはめ、深く思い考え、そして学ぶ。
ゆったりと学べ!
*****

後の人生の考え方の基礎が作られる若い時分に、きちんと方向を指さし、導いてくれる師に出会えるかどうかは、それは運なのでしょうか。
僕はこれからの若者達が、その先の人生でもきちんと筋道を立てて考える事の出来る指導をしてくださるよい先生に、少しでも多く出会える事を祈っています。
そして未来の日本を明るく元気にしてくれる、そんな若者を教え導ける指導者たる先生方が、もっと増えることを祈っています。

「師であることの条件」は「師を持っていること」だそうです。
人の師たることのできる唯一の条件は、その人もまた誰かの弟子であったことがあるということだといいます。

あなたには、「師」と呼べる人はいましたか?
posted by Coyama at 21:35| 思ったこと・感じたこと

2012年02月18日

プロの仕事

(※今日の記事はあまり整っていないので、後日徐々に修正します。)
今日は一日シンポジウムの手伝いをしていました。事前に参加者数が全く読めず、配布資料を予備を含んで80部用意したのですが、それを超える数の方々が来場し、かなり盛況なシンポジウムとなりました。
そのシンポジウムの最中に、若いカメラマンの男性が一眼レフのカメラを持って会場をウロウロと動き回り、ずっと撮影をしていました。

周りの人たちからはシンポジウム専属のカメラマンだろうと思われていたでしょうが、実際には演者の中の一人の関係するカメラマンだったそうで、主催側にはその演者の方から事前にカメラマンが来るということは伝えられていたそうですが、そのカメラマン自身が主催側に挨拶をしてきたのはシンポジウムが終わってからでした。
そして著作権の問題もあると思いますので、みなさんが写っている写真に関しては許可なく使いませんので、と言っていたのですが、だったらなぜシンポジウム中に大量に写真を撮り続けていたのかが気になるところです。

本来写真を撮る事に対しては問題ないことなのに、今日僕が気になったのは、そのカメラマンの方がシンポジウムの裏方の進行を妨げていたからです。
スタッフが移動している先の通路を塞いでいるとか、いい写真を撮ろうと会場の前の方に出て行って身を乗り出し、後ろを気にせず観客の視線を塞いで撮影するとか、講演中にウロウロしながら撮影しては画像を頻繁に確認したり、レンズなどの入れ替えでガチャガチャとホール内に音を響かせたり。
また服装も、履いているジーンズの後ろのポケットから、財布に繋げられた目立つ紐がだらしなく垂れ下がっていました。
そして何より臭いのです。香水臭いとかではなく、よくお好み焼き屋や焼き肉屋などに行くと体に染み付いてしまう臭いってありますよね、あんな何とも言えない臭いがするのです。そのためカメラマンがウロウロする度に、その臭いが運ばれて鼻につくのです。だから余計に存在が気になってしまいました。

そのカメラマンの方はもしかすると素晴らしい腕を持ったよい写真を撮るのかもしれませんが、少なくとも今日の仕事ぶりを見ている限りでは、あれはプロの仕事ではないなと感じました。

プロのカメラマンは、写真を撮りながらも周囲もきちんと見ているものだと思います。邪魔にならないようにさりげなく位置取りをし、カメラのファインダーを覗きながらも見えていない周囲にも気を配る。それでもよい写真を納める。それがプロのカメラマンなのではないでしょうか。
そういうカメラマンの方をよく見かけます。見かけるというよりかは、普段は気にもしていません。これは今日の事があって気がついた事ですが、普段はシンポジウムなどの会場にカメラマンはいるのだけれどもその存在が気になっていないので、記憶にない。でも後にその時の素晴らしい写真を見ると、確かにそこで写真を撮っている。
まぁシンポジウムなどでは普段聴衆は前にいる演者しか見ませんから、カメラマンやスタッフなどは気にしてもいないのですけどね。

ただ、これはカメラマンだけではなく、一般の人にも言えることだと思います。

一つのことや自分のこと、自分がやるべきことしか見えてなくて、全体が見えていない。

わかりやすい例えでは、街中や電車で携帯電話や携帯ゲームをしている人たちがそうですよね。目の前の画面しか見てなくて、周囲のことを全く見ていない。

他にも自分が行うことに集中するあまり、その周囲が見えていないことは意外と多くあって、例えば引っ越し作業の時にマンションなりオフィスビルなどのエレベーターを独占してしまう。
事前に「○月○日の△時から1時間程度、引っ越しのためエレベーターを使用させてもらいます。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします。」などの張り紙を一枚貼っておけばよいのに、そこまで気が回らない人も意外と多いんですよね。
そしてこれが仕事などに絡んでくるともっと厄介で、周囲を困らせる事にもなる。

サッカーで例えると、一人でボールを蹴ってドリブルし、ゴールを目指すといったスタンドプレーが成立するかということです。
チーム同士が戦うサッカーで勝負をしていくには、常に周囲を見ながら行動しなければなりません。敵の位置、見方の位置。敵や味方の位置や動きを常に把握しながら、空いている場所へ移り、パスを受けたり出したりする。

よく背面へボールを蹴ってパスをするバックパスというのがありますよね。
あれは目では見えていませんが、後ろのどこに味方がいて、どういう動きをしているか・しようとしているかがわかっているから成立するものです。

何気なく後ろに蹴った。何気なく後ろに蹴られたボールが届くところにいた。
実際はそうではなくて、蹴った側も受けた側も常に周囲に気を配っているから成り立つプレーであり、そしてそれがプロの仕事というものだと思います。

この考えを人に押し付ける気はありませんが、僕は自身が何かを行う時には目標を捉えつつも周囲に気を配り、様々な視点や角度で検証しながらも、目標の達成に繋げていけるような、そんな心構えを常に忘れないようにしたいと思っています。
posted by Coyama at 22:00| 思ったこと・感じたこと

2012年02月17日

船中八策

以前政治活動をされている知人から、広報用の文章を渡され意見を求められたことがあります。
その時に僕はその文章に目を通し『文中に「私の“船中八策”に是非乗ってください!」とあるけれど、政治家ってのはどうも幕末の志士やら坂本龍馬さんが好きで、それに自分を投影したがる。気持ちはわからなくもないが、“船中八策”みたいな他人の言葉を使わずに、自分の言葉を使いなよ。』とアドバイスをしたことがあります。

僕は別に政治に対してとやかく言うつもりはないのですが、大阪市の橋本市長率いる大阪維新の会が公約として「維新版・船中八策」を発表したとのニュースを見ました。

内容云々に関しては何も言うつもりはありませんし、個人的には橋本さんのような革新的な方を応援していますが、このネーミングはどうなんだろうかと思います。
「維新」だとか「志士」だとか、これまでも“幕末好きか?”と思うような言葉を多々使われてはいますが、それでも間違った言葉でもないので気にはしていませんでした。
ただ「船中八策」を使ってしまっては、もうこれは確実に幕末に自分たちを投影して酔いしれている演者たちの集まりになっているとしか、僕の目には映りません。「見せ物」や「ショー」ですよね。

勘違いしないでほしいのは、これは別に橋本さんを非難しているわけではなくて、この「船中八策」という言葉に対して疑問を感じる、ということです。あれだけの業務を抱えている橋本さんが自ら素案を構築されていることはないと思いますので、きっと周囲のブレーンがあれこれと素案を固め、上にあげ、橋本さんや他の維新の会のメンバーの方々と話し合いながら決まったことだと察しています。

もちろん最終的にその言葉を使うかどうかの責任はトップにあるわけですから、もしかすると橋本さんが好んで使われたのかもしれませんが、だとしたらその言葉を使った真意を知りたいな、と思っています。

単なる幕末の志士・坂本龍馬さんに自分(たち)をなぞらえて使ったのであれば、僕はそこに疑問を感じてしまいます。

船中八策は、文字通り坂本龍馬さんが船の中で考えた8つの政策案ということで船中八策と名付けられています。
もっともそのことを正確に知っている生き証人はこの世にいませんので、それが本当の話なのかどうかはわかりませんが、一応史実ではそうなっています。
本当は遊郭で遊んで酔いつぶれた明け方に隣で寝ている遊女の屁を聞いてふと思いついた「艶屁八策」だったのかもしれないし、性行中に思い浮かんだ「女中八策」だったのかもしれないし、脱糞中に厠で思い浮かんだ「糞闘中八策」だったのかもしれない。
しかしそれでは格好がつかないので、志を持って移動中の船の中で、明日の新しい日本を想いしたためた8つの政策「船中八策」、どやっ!?なんてエピソードにしたてあげた、なんてこともあるかもしれません。
坂本龍馬さんだって人間ですからね。そういったことがないとも限らないし、僕ならそういうことは格好良くみせたいと思いますし、歴史なんてものは後世に伝わってしまったものが真実になってしまうので、あながち間違いだとも言えないと思います。

僕が大阪維新の会が「船中八策」という言葉を使ったことに疑問を感じるのは、まずは単純に「船の中で考えたわけじゃないでしょ?」という点です。
いや、実際にクルージングの最中だったり、移動のフェリーの中で考えた、ということであればよいのですが、もし会議室で練ったものだとしたら「船中八策」ではない。
もっとも「維新版・船中八策」だったり「維新八策」だったりと言葉が錯綜しているのでどれが正しい表記なのかはわかりませんが、「船中八策」という言葉をベースにしているという点は間違いないでしょう。

また「船中八策」という言葉ありきで政策を作ったとしたら、無理矢理8個作ったということになります。
そううまく8個になるものですかね?

実際「船中八策」という言葉は後からつけたとして、最初に真面目に政策について論議をし、7個だったり9個が出た。よし、いいんじゃないか。じゃあこの政策案に名前を付けようか、となった時に、誰かが「“船中八策”がいいぜよ」なんて言ったのではないでしょうか。
すると8策にしなければいけないため、付け足しで1つ考えを絞り出したとか、ボツ案が繰り上げ採用になったとか、逆に1個減らしたとかとなった。
だとしたら本末転倒ですよね。「志」もなにもあったものじゃない。

百歩譲ったとしても「船中六策」だったり「船中十策」でもよかったんじゃないですかね。

僕は橋本さんにはお会いしたことはないので、橋本さんが実際はどのような方かも知りませんので、個人を非難するようなことはしません。それに繰り返しますが、少なくともニュースなどで目にする革新的な行動には賛同しています。
ただ、ご本人なのか取り巻きなのかはわかりませんが、それが戦略なのかもわかりませんが、なんだか現代版幕末ショーをされるのであれば、それはちょっと違うんじゃないかなと僕は思います。

自分の意志で、自分の言葉で行動してこそ、真の志士なのではないのでしょうか。
でも、明治維新の時の志士達も、歴史を読む限りではけっこういろんな人たちの意見に惑わされていたんですよね。
まぁあれです。惑わされようが何をしようが、とにかく「明日の自分をよくしたい」ではなく「明日の日本をよくしたい」と思って行動をしてくだされば、それでよいと思います。
posted by Coyama at 11:19| 思ったこと・感じたこと

2012年02月16日

地縁と慶弔

(※今日の文章はあまり整っていないので、後日徐々に修正します。)

今日書く話は、きっと理解できる人と理解できない人に分かれる内容だと思います。

その内容は「知人や友人のご家族の不幸を知ったとき、あなたはどのような対応をしますか?」ということです。

先日、多摩ニュータウンの知人のご家族に不幸があったのですが、遠方で参列は難しかったため斎場へお花をお送りしました。
その連絡を受けた時に、まだ連絡を受けていなかった別の知人へ葬儀の案内を伝え、その方から周囲の関係者へ伝達をお願いしました。

しかしその方から周囲の方へ連絡をされることはなく、また僕とその方とご家族に不幸があった方とは互いに仕事上での付き合いもありましたので、連名でお花をお贈りしないかとの提案もしたのですが、その申し出はわかりづらく断られました。

気になったので、後日さりげなくそのことを質問してみると「普通はそういうのは何もしないもの。」「他の人に教えても関心はないよ。」との答えが返ってきました。

それからしばらくして、別の関係者の方と話をしていた際にその話をしたところ、「なぜその時に教えてくれなかったのか。知っていればお花や弔電をお送りしたのに。」と言われました。
その話をした方とは僕は直接の連絡法を知らず、先の伝達をお願いした方を経由して連絡が行くと思っていたことと、そのようなことは関心を持たれないので伝達の必要はないと言っていたということをお話ししたところ、その対応にとても驚かれていました。
その反応を見て、やはり僕の感覚は間違っていないんだなと安心しました。

つまりのところ、これは友人知人とその家族へのお祝いや弔いを行うかどうか、という問題なのだと思います。
それは人と人との繋がりとして、当然行うだろうという人と、その必要はないという人と、2種類に分かれることだと思います。
どちらが正しいとも間違っているとも僕は思いません。ただ、行うことが人として当然だと思っている僕にとっては、前述の一件は不思議で仕方がなかったのですが、どうもいろいろな人たちと接していると、多摩ニュータウンなどでは不思議と慶弔への対応は必要ないと思われている人が多いように感じます。
もちろんこれは個人的な感覚ですし、多摩ニュータウンの住民の全員がそうだということではありません。しかし無関心さはどうも他の地域に比べると多く目につきます。

ちょうどそのことを僕と同じように感じられている方と話をしていて、なぜそうなのだろうかという話題になったのですが、もしかするとそこには多摩ニュータウンという地域特性が関係しているのではないかという意見が出ました。

多摩ニュータウンはよく知られているように、高度成長期に都会へ流入する人口の増加に対応するため、郊外の多摩丘陵を切り開いて新たに作られた広大な集合住宅地域です。そしてその当時移り住んで来た人たちの多くは、地方から都心へ出てきた農家の次男や三男の方々が多かったと言われています。

その中には地方都市で昔からあった、いわゆる「地縁」というような密な近所付き合いを嫌って都会に出てきた人たちも多く、冠婚葬祭のような地域での行事を煩わしく思った人たちも少なくなかったと聞きます。
“ニュータウン”と名の付けられた文字通り新しい街では特に、そのような人たちが多く集まり住んだため、普段の軽い近所付き合いはするものの、冠婚葬祭等の「地縁」を必要とするような煩わしい部分は避けられたのではないか。また大規模集合住宅地ゆえに、どこかの家庭でお祝い事や不幸がある度に対応していると大変なので、自然とそれらを避けるようになったのではないか。
また先代から住み続けているわけではないため家族像が見えづらく、お隣さんの姿をしばらく見ないなと思ったら、ご家族の不幸があって郷里に帰っていた。不幸があった話を聞いたのはそれからずっと後のことだった、ということも少なくないと聞きました。

これらはあくまで僕の推測でしかありませんので、正確なものではないと思います。しかし例え慶弔への対応を行わないとしても、冠婚葬祭があった方と次に顔を合わせた時に、その話を事前にどこかで耳にしたら、お祝いや弔いの言葉を一声かける程度のことは「成熟した大人」であれば持ち合わせている感覚かと思います。
しかしそれが出来ない人が意外と多くいると僕は感じています。
そして親がそれを出来ないのですから、当然ながら子もそれを習慣として持ち合わせていないのです。

これは今の多摩ニュータウンを始めとした郊外の大規模住宅地の現状なのかもしれません。

僕自身、様々なところでいろいろな方との付き合いがありますが、多摩ニュータウンに限らず、自身の身内に不幸が会った際、お悔やみの言葉を述べてくださる方と、そうでない方がいます。
ある程度の年齢に達した方ですと、これはもう日々の習慣ですので、どうにも出来ないことだと思います。ただその子どもの世代にまでその感覚が浸透していることに、僕は不安を感じています。

もし知り合いの方のご家族に不幸があったと聞いた時には、「この度は御愁傷様でした。どうぞお気を落とさずに。」程度の声かけはしたいものです。

それが出来ない人と、出来る人がいる。
これはあくまで僕個人の基準ですが、出来る人が「成熟した大人」、出来ない人が「未熟な成人」ではないかなと思っています。
ご家族に不幸があった方を前にして、どのような言葉をかければよいのかは難しいところではありますが、だからといって“何も聞いていないかのように何も言わない”という選択は、僕は間違っていることだと思います。

これを読んで「そうそう」と思う人も、今一度ご自身がきちんとそれが出来ているか、ご注意された方がよいと思いますよ。
posted by Coyama at 23:51| 多摩ニュータウンのこと

2012年02月15日

笑施

先日、調べ物があって過去の日記を開いたところ『「こやま君はやってることもやってることだけど、それ以上に何をやっていてもいつも楽しそうだからそれでいいんだよ。それは他の人にはなかなか出来ないことなんだよ。」と言われた。 』という6年前の日記が目に留まりました。

今月の初めに、長野県小諸市で行っている「こもなみ倶楽部」の活動が12月に取材を受けた時の雑誌が送られてきました。
その取材の時には専属のカメラマンの方が同行され我々の活動を写真に収めてくれたのですが、記事に劣らず掲載されたその写真もどれも素晴らしいものでした。
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僕は「こもなみ倶楽部」の活動の中ではいつも写真を撮る側なので、普段はあまり自分が写っている写真を目にすることはないのですが、その雑誌の写真には珍しく僕がたくさん写っていました。しかしその写真の中の僕が、どれもまぁ楽しそうな顔をしているのです。
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それを見ると、確かに人から「いつも楽しそうだね」と言われるだろうな、と自分でも思いました。

8年前、当時住んでいたデンマークのコペンハーゲンの街角で、僕は偶然知り合いの日本人のおばさまに出会いました。
僕が彼女を見つけたときには彼女はまだ僕には気がついていなかったので、僕から声をおかけしたのですが、するとおばさまは僕を見るなり急に嬉しそうな顔をされ、笑顔でこう言ったのです。

「あらぁ、こやまさん!やー、よかった。本当にあなたはいつもニコニコしてて楽しそうで、会うとこっちまで楽しくなってくるのよ。会えてよかったわー。なんか今日はいいことありそうっ!」

僕は特に何をしているわけでもありませんが、普段から僕を見てそう思ってくださっている人がいるのであれば、いつも楽しく笑っていようかな、とその時に思いました。

でも、それはある意味「血」なのかもしれないな、と最近思っています。
ここ数年、親族の不幸が続いているのですが、それら葬儀の時にも、僕の周りはいつも笑顔があります。
一昨年の母方の祖父の葬儀の時には、僕を含む孫同士があまりに楽しそうに笑い合っていたのが印象的だったようで、住職が葬儀の最後に挨拶を述べられた時に「今までいろいろな葬儀に出てきましたが、これほどにこやかで仲のよいお孫さん達は見たことがない。故人もさぞ喜ばれていることでしょう。」と言ってくださいました。

もちろん別れは悲しく、心では故人を偲んで泣いているのですが、それでも涙よりも笑顔で送ってあげた方が故人だって喜ぶとみな思っているから、きっと笑みが溢れているのだと思います。

母方の家系だけでななく、父方の家系の小山家の家訓の中にも、こんな言葉があります。

『笑みを施せば笑みで返ってくる』

曾祖母が、祖父に常日頃言っていた言葉なのだそうです。

だからきっと、僕がいつも楽しそうに笑っているのは、生まれつきのものであり、子どもの頃からの習慣なのだと思います。

いい大学を出て、いい会社に就職して、偉くなって、使い切れないほどのお金をもらって、たくさんの名誉や肩書きを手に入れても、それらは死ぬ時にあの世にはもっていけません。
大事なのは、その人が生きている間にどれだけ笑い、人を愛し、人に優しくしたかということだと思います。

僕にはありがたいことに学歴だけはそれなりにありますが、その他には今の日本人の評価に値するものは何も持っていませんし、お金もほとんど持っていません。
ただ、笑みだけは、たぶん人一倍持っているという自信はあります。
他人に対して、お金は施せませんが、笑みなら施すことが出来ます。
でもそれってとても大事なことで、誰にでも出来ることではないのだなということに、最近気がつきました。

それに昔から『笑う角には福来る』とも言います。
人生にはいろいろなことがありますが、結局のところは生まれつきの性格のため、笑っていればなんとかなるかな、と困ったことにいつも思ってしまうのです。
posted by Coyama at 23:14| どうでもいいこと