2012年02月24日

多摩ニュータウンの未来(前編)

地方都市において、住民の少子高齢化と農家の後継者不足によって引き起こされている問題の一つに、耕作放棄地の増加があります。
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しかし「地方都市では耕作放棄地が増えている」という言葉だけを聞くと、田舎に行くと草ボーボーの空き地が転々と増えてきている、とイメージするかもしれませんが、実態はそうでもありません。
ただし耕作放棄地は確実に増えています。要はその耕作を放棄をされる農地に、特徴があるということです。

普通に考えるとわかることですが、住宅地にも高級住宅地から郊外の地価の安い住宅地があるように、農地にも一等地などの階級のようなものがあると思います。実際にそういった階級があるのかは知りませんが、日当りがよく交通の便のよいところは当然ながらよい農地なわけです。
そのため使い勝手の良い平野部にあるような農地は耕作放棄地にはなりにくい。例えば新幹線の車窓から地方都市を通過する際に見える田園風景。その風景の中にはあまり耕作放棄地を見かけることは少ないですよね。
それは使い勝手のよい平野部の農地だからということもあると思います。
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いくら農家の数が減るとはいえ、機械や近代農法などの進歩で、昔に比べれば少ない人数でも広い農地を管理することが可能になりました。またいくら減退しているとはいえ「農業」そのものが無くなるということはなく、もし一等農地の担い手などがいなくなり耕作放棄をされていくような状況になれば、収量を上げたいと思っている近隣農家はすぐに目を付け借りるもしくは購入を検討していくことになります。
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もし借り手がいないような場合でも、その立地条件から宅地転用されて住宅地になることも少なくないのです。

では前述の耕作放棄地がどのような場所から増えているのかと言うと、地方都市の、さらに外側の、山間にある不便な土地から、徐々に担い手がいなくなり耕作を放棄され、荒れ地になっていくのです。
もともと平野部の農耕に適した農地が埋まっていき、溢れたり拡大を求める人たちが、新たに農地を切り開いていったのが山間にあるような農地なわけです。
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またこのような山間地や斜面の農地などは、不便という理由の他にも、機械化などが進んできた現在において、機械の扱いや横転などによる事故を誘引することもあります。
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ですので農地の耕作放棄が進んでいくとなると、まずは拡大した先である山間の不便な農地から放棄されていくのが自然と言えるわけです。

ちなみにこの話には数値やデータなどの根拠はありません。農家の方の話や、僕自身が目にしてきたことからの推測に過ぎません。
しかし普通に考えてみても、立地のよい農地から耕作放棄地になり立地の悪いところに農家が残るというよりも、立地の悪い土地から耕作放棄地となり立地のよい農地が残っていく、といったほうが、自然な考えだと思います。
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なぜこのようなことを書いたかと言うと、これは農地だけに言える問題ではないと思ったからです。

例えば東京都心で、居住選択となった時には、勤務先や都心、賑わいのある場所に近ければ近いほどよいと思うのが人間です。そして交通の便など悪いところは敬遠されがちになります。

これから人口が減っていく中で、都心ではどこから人が減っていくかといえば、多摩ニュータウンのような、高度成長期の人口増加に対応するため山間部を切り開いて作られたような場所から、徐々に人は減っていくのではないでしょうか。
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そう考えると、多摩ニュータウンの未来もそう明るくはありません。
ただし指をくわえて見ていても何も改善はされません。
そのような予測が立てられるのであれば、それを防ぐための策を講じていくこともできます。

では、どうするとよいのか。その続きはまた明日。
posted by Coyama at 23:01| 多摩ニュータウンのこと

2012年02月23日

デンマークで学んだこと

2003年の夏、僕はデンマークにある語学学校の2週間のサマーコースに参加をし、デンマーク語で英語を学んでいました。
英語のクラスは僕以外はみんなデンマーク人で、その多くが年配の方でした。
今でこそ、多くのデンマーク人が英語を話しますが、少し年輩の方になると、あまり英語は話せないとういう方が多いのです。

英語のクラスはレベルによって2つのクラスに分けられていて、英語があまり得意でなかった僕は下のクラスでした。
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そんなクラスメートの中に、オーブさんという、感じのよいデンマーク人のおじいさんがいました。歳の頃はもう70歳を越えていたでしょうか。
そんなオーブさんは僕によく話しかけてくれました。

オーブさんは切手集めが趣味でした。そこで僕が日本からの郵便物に貼ってあった日本の切手をあげると、大変喜んでいました。
ちなみに彼は「HOKUSAI」にとても興味があるのだそうです。
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そのオーブさんはサマーコースには奥さんと一緒に来ていました。奥さんの名前はトーベさん。彼女も歳は70歳を越えていました。とても大らかで、気品のある綺麗な女性だったのを覚えています。
彼女は僕とオーブさんとは違い、英語の上級クラスで学んでいました。
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ふたりはそのサマーコースには老後の趣味ということで、休暇を兼ねて英語を学びに来ていました。
そしてその2週間の間、よくふたりが一緒に散歩をしている仲むつまじい姿を僕は何度も見かけました。

この2週間のサマーコースには、最初の週末と最後の週末の2回、フェスタと呼ばれるパーティがありました。
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その日は学校の厨房が作る素晴らしく美味しい食事を楽しみながら、さまざまな催しがなされ、その宴は夜遅くまで続きます。
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2週間のサマーコースが終わる、そんな最終フェスタの夜のこと。

僕はその日のフェスタを飲んで踊って楽しんだ後、少し酔いを覚まそうと玄関の外へ出ました。
月明かりがとても綺麗だったのを覚えています。
学校のホールからは、まだまだダンスを楽しむ人たちの楽しそうな笑い声と、心地よい音楽が鳴り響いていました。
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その時、オーブさんとトーベさんが、会場のある建物から外へと出てきました。

窓から漏れる薄明かりの中、ひとり闇夜にたたずむ僕を見つけたオーブさんは
「僕たちはもう疲れたから部屋に帰って寝るよ、おやすみ。」
と声をかけて手を振ってくれました。
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そして、部屋へと向かう暗闇の中へふたりで消えていきました。

僕は、その時の、薄暗い月明かりに照らされた老夫婦の後ろ姿を、今でも覚えています。

もうとっくに70歳を越えているだろうその老夫婦は、外に出てきた時からずっと、手を繋いでいたのです。そして部屋に戻る時にも、ずっとその手は離れませんでした。

その雰囲気は、言葉に表すのが難しいですが、僕はその時に、きっとふたりの間にある絆はとても深いものなのだろうな、と感じました。
どんなに歳をとっても、自然と手を繋いでいられる。なんて素敵な夫婦なんだろう、と。

ふたりが見えなくなるまで、僕はずっとその後ろ姿を見つめていました。

僕も、オーブさんとトーベさん夫婦のように、いつまでも手を繋いでいられるような、それが自然に出来るような、そんな大切な女性に、いつか巡り会えればと思っています。
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日本では「デンマーク」と言うと「世界一幸せな国」などと称され、福祉が優れているだとか環境活動が盛んだとかと注目をされ、デンマークを知らない人たちはこぞって多少の知識を持つ人たちにそのような話を聞きたがります。

それを聞くことも話すことも僕は否定はしません。知らないことを知りたがるのは人間の性です。

でも僕は恩師からデンマークに行く直前に、「留学で最も大切なことは、知識や技術を得ることではなく、その国の人を知り、理解すること。」と教わりました。
そしてそれを心にして学んできました。
だからもし人から「あなたがデンマークで学んだことを教えてください」と言われたら、きっと僕はデンマークの建築の話や福祉事情、環境対策などではなく、このオーブさんとトーベさん夫妻の話をすると思います。

あれから9年が経ちましたが、いまでもおふたりが、幸せで元気に暮らしていてくださればいいなと、いつも願っています。
そして、今でも手を繋いでいる、素敵なカップルでいて欲しい、と。

どんなに歳をとっても、いつもその手を握ってくれる別の手がある。それこそが、世界一だとか日本一だとか関係なく、人生の中で、最も幸せなことなのではないでしょうか。
posted by Coyama at 20:53| デンマークのこと

2012年02月22日

サンタクロースの数え方

みなさんはサンタクロースをどう数えますか?
「1人のサンタクロース」ですか?
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では雪男はどう数えますか?
「1人の雪男」ですか?

人魚はどう数えますか?
「1人の人魚」ですか?
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雪男や人魚の場合、「1人」ではなく「1匹」と数えないでしょうか?
雪男や人魚のような架空の生き物や、他にも妖怪などは1匹、2匹と数えますよね。
1匹の雪男、1匹の人魚、1匹の妖精、1匹の妖怪、1匹の狼男、1匹のお化け。
そうなるとサンタクロースというのも、あれは「1匹のサンタクロース」と表現するのが正しいのではないでしょうか。

もしサンタクロースを「1人のサンタクロース」と数えるのであれば、その根拠はなんでしょうか。
まず前提として、間違いなくサンタクロースは「人間」ではありませんよね。でもそれを「1人」と数えるということは、彼を「人型」やら「ヒューマノイド」ということで認識しているということになります。

するとその「人型」を「1人、2人」と「人」単位で数える境はどこになるのでしょうか?

漫画ワンピースに出てくるキャラクターのチョッパーは、人間の言葉を話すトナカイではありますが、「1匹のタヌキ」と数えられています。
映画スターウォーズに出てくるキャラクターのチューバッカは、人間の言葉は話さないがヒューマノイド的な知識を持つ地球外生命体ですが、数えるときは「1匹」になると思います。
カフカの『変身』のグレーゴルも、姿を変えた後では、例え人としての意思を持っていても数え方は「一匹」ですよね。

では漫画ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪達はどう数えるのでしょうか?
主人公の鬼太郎は「1人」と数えますか?ねずみ男や猫娘も「1人」でしょうか?
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じゃあ一反木綿は?ぬり壁は?一つ目小僧は?座敷童は?
でも一般的には「妖怪が1匹」「妖怪が2匹」と数えますよね。
だとしたら「1匹の鬼太郎」になるのでしょうか。
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妖精はどうでしょう。
1匹の妖精、ですよね。
北欧のクリスマスの妖精ニセは、1匹、2匹。
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ピーターパンに出てくるティンカーベルは、1匹の妖精。
もののけ姫に出てくるこだまは、1匹のこだま。
ムーミンも1匹。トロールも1匹。
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やっぱり完全な人間でない限りは、単位は「匹」になるのだと思われます。
そのようなことからもサンタクロースは1匹と数えるのが正しいのではないでしょうか。

もしクリスマスの時期になり、ニュースで読み上げる時などは、「世界サンタクロース会議。今年は世界各国から、なんと120匹のサンタクロースが集まりました。」と報道するのが正しい言葉遣いになると思います。
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サンタクロースを「1匹のサンタクロース」と数えるのであれば、それは架空の生き物ということで認識されているわけで問題はないと思うのですが、もし「1人のサンタクロース」と数えるとなると、そこには人権が発生することになるのではないかと僕は心配をしています。

人権が発生するとなると、社会における法が絡んでくることにはならないでしょうか。
架空の生き物であれば人間界の法は適用されませんが、人となると人間界の法がサンタクロースにも適用されることになると思います。

だとすると、サンタクロースが無許可で毎年他人の家に進入することは、これは立派な住居不法侵入罪に問われますし、世界中の空を飛び回ることは制空権の侵害にも当たることになると思います。NASAが毎年クリスマスになるとサンタクロース追跡サービスを行っていますが、これは法廷で争われる時にその証拠になるでしょう。
引っ越しをしても家を突き止めて毎年やってくる彼の行動は、見る人から見ればストーカー行為になるかもしれません。

アメリカなどは訴訟社会といいますから、このサンタクロースの数え方問題から端を発する彼の存在に対して、裁判を起こす人が今後出てくる可能性もあるかもしれません。
そうならないためにも、やはりサンタクロースの数え方はきちんとしておいたほうがよいと思うのです。

もしサンタクロースの存在が裁判にかけられたとすると、きっとその様子は世界中に報道され、その人権を認めようが認めまいが、いずれにせよ真実が明かされて子ども達の夢を壊す結果になります。
そうさせないためにも、やはりサンタクロースは、「1匹のサンタクロース」と表現することがよいのではないかと、僕は思っているのです。

なんて、取り越し苦労ですけどね。
posted by Coyama at 23:53| どうでもいいこと

2012年02月21日

夏の甲子園のファールボール

世の中には「チャンスの神様」がいて、その神様には前髪しかないといいます。
それはつまり、通り過ぎてから掴もうとしても、後ろには髪の毛が無いので掴めない、ということなのだそうです。
確かに僕もそうだと思います。チャンスはものすごい勢いで迫ってきて、逃したら後ろからは追えない。

僕もある体験から、チャンスの掴み方を学びました。その体験とは、「夏の甲子園のファールボール」です。
僕は2002年の夏の甲子園で、チャンスとは何か、それを掴むためにはどうすればいいか、を学びました。

2002年のその年の秋に僕はデンマーク行きを控え、最後の夏を日本で過ごしていました。しかし日本を離れる前に、僕がデンマークへ行く決心をしたきっかけとなった本の著者に会って直接話を伺いたいと思い、その夏に僕はその著者の方にアポイントをとって訪問しました。
その方は兵庫に住んでいたため、僕は東京から飛行機で伊丹空港へ向かい、空港からはバスで神戸の街へと向かいました。

するとその途中、バスは甲子園球場を経由していったのですが、たまたま目にした球場の横断幕で、僕が神戸での滞在中に高校野球が開幕を迎えるという事を知り、滞在の最終日に行われた開幕戦を観戦すべく甲子園球場に足を運びました。
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真夏の熱闘甲子園。一般人が座れる自由席は内野側の座席なのですが、僕は少しでもその雰囲気を楽しもうと、各高校の応援団や関係者が集い盛り上がる外野席ギリギリの内野側の席に座り、朝から試合観戦を楽しんでいました。

ギラギラと照りつける太陽のもと、昼間から喉を潤すべくビールを飲み、涼を求めてかち割り氷を噛み砕き、応援団の応援に合わせて声を張り上げ、楽しみながら野球観戦をしていたのですが、その瞬間は突然訪れました。
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太陽が照りつける快晴の真っ青な空の下、多くの人たちの期待を背負ったエース投手が、渾身の力を込めて投げた球を、多くの応援を受けた右打席に立つ豪腕打者が、向かってきたその球にバットを振り出すと、そのボールは左に大きく弧を描きながら飛んでいきました。

そしてそのボールの先には、僕がいたのです。

ちなみに僕がいたのは内野席ですので、その打球は打った時点でファールボールとわかるような弾道でした。

今でもその時のことは覚えているのですが、本当に一瞬の出来事で、投手が投げて打者がバットを振ったと思ったら、ものすごい速さで白球が僕をめがけて飛び上がってきました。

しかもその白球は回転を伴い、「シュー」と大きな鋭い音をたてて飛んできたのです。

「来た!」と思った瞬間には既に僕の目の前に迫っていて、次の瞬間、僕は怖くなって思わず体を横に倒してその球を避けてしまいました。

するとボールはさっきまで僕の顔があった位置をものすごい速さで通過し、後ろの座席に飛び込んだ後、大きな音とともに高く跳ね、マウンド側へ大きく跳ね返りました。
野球場などのスタジアムはご存知の通り観客席が試合が行われるマウンド側に向かって下りの傾斜になっていますので、下に向かった球は2〜3度飛び跳ねた後、勢いを落としながら段差をトントンと転がり落ちはじめ、最後に通路の手すりのところで止まりました。

数秒前までの勢いが嘘のようにおとなしくなったその球は、止まった位置の前に座っていたおじさんによって拾い上げられました。

まだ動悸が収まらない僕が、上の方からその球を拾ったおじさんをうらやましく思い見ていると、そのおじさんの斜め後ろの方から若い女性の2人組が駆け寄ってきて、「わぁ〜、いいなぁ!☆!」と言ったのです。

するとボールを拾ったおじさんは、「ほら、あげるよ。」とそのボールを女性たちの方に向かって投げたのです。

「いいんですかぁ!ありがとうございます!」とボールを受け取り「きゃっ☆もらちゃった!」喜ぶ女性たち。

その瞬間に、僕はチャンスの掴み方と逃し方を悟りました。

たぶんチャンスというのも、そのファールボールと一緒だと感じたのです。

僕に向かって球が飛んできたあの時、僕は手にかち割り氷を食べ終わった大きめの紙コップを持っていました。
例えばあの時、その紙コップをうまく使っていたら、あのボールを捕獲できていたかもしれない。横に置いてあった鞄でたたき落とすことも出来たかもしれない。
もしくは鋭い音で回転をしながら飛んでくるボールを恐れる事なく、突き指しようが骨折しようが手を伸ばしていたら、あの白球は夏の思い出として僕の手にあったのかもしれない。

しかし実際には僕は怖くて掴もうとする勇気もなく避けてしまった。そして球は手に入らなかった。

ただ、僕が見逃したその球は、僕が避けた後に消えてなくなったわけではなく、跳ね返り、転がり落ち、勢いが収まったところで近くにいたおじさんに拾われた。さらには、その後ろから駆け寄って「いいなぁ☆」と言っただけで、若い女性が手に入れた。

つまりは、そういうものなのだと思います。

この「球」を「チャンス」だとします。
現実社会の中で、僕の目の前に来た「チャンス」を、僕が怖くて掴めなくても、その「チャンス」はいつかどこかで誰かの手に渡ってしまう。
それを手にするのは、たまたま「チャンス」の勢いが衰えた時に近くにいたおじさんかもしれないし、たまたま拾うのを目にして「いいなぁ☆」と声をあげたらもらえたお姉ちゃんかもしれない。

その出来事と体験があって以来、僕は物事に対して怖がることや深く考えることをやめました。
例え突き指をしようが骨折をしようが、僕はファールボールが飛んできたら、真っ先に手を伸ばす事にしました。

その甲子園での出来事からもう10年が経ちましたが、それ以降の様々な体験からも、この考えもあながち間違いではないと感じています。
チャンスを手にする事が出来るかどうかは、いついかなる時にファールボールが自分に飛んできたとしても、それに気がつき、冷静に構え、逃す事なく、一瞬の判断でそれを捕まえる、その注意力。それと怪我をすることなく、より高確率で掴み取るための日頃の鍛錬が重要なのだと、僕は思っています。

そう、チャンスの神様には、前髪しかないのです。
posted by Coyama at 23:32| 思ったこと・感じたこと

2012年02月20日

運気の流れ

今日は午前中に仕事を片付け、午後から知り合いの設計事務所の手伝いをしてきました。
今日は話だけ聞いて帰るつもりだったのですが、成り行きで夜まで作業をすることになり、そして3月いっぱい手伝いをすることになりました。

昔から僕の周りでは不思議な事がよく起こります。僕には人に見えないものが見えるといったことはありませんが、“何かを感じる”ことはよくあり、それもある種の霊感なのだそうです。
そのような人生を36年間生きて来て、最近は運気の流れやパターンがある程度自分でわかるようになってきました。
ちなみにこんな事を書くと最近テレビでも話題になっている自称占い師さんなどのように怪しく思われるかもしれませんが、あくまで僕にわかるのは自分に関しての事で、他人のことはまったくわかりません。

僕の場合の運の流れでわかりやすいシグナルの一つは、人からビールをかけられたとき。
それは「ビールかけ」のようにわざとかけられるのではなく、何かの弾みで誰かがこぼしてしまいそれをかぶる、ということがごくたまにあります。
そしてそんなことが起きた直後か数日後に、想像もしない楽しい事や嬉しい事が必ず訪れます。

最近だと出張先で新幹線の対面の座席に座った同行者が飲みかけのビールを窓際に置いたところ、列車が出発した勢いで倒れ、僕のズボンをビールで染めました。
普通であれば怒りたいところですが、むしろ僕にとってはよい兆候で、これは近々きっといい事があるに違いない、と笑顔で対処した翌日に「こもなみ倶楽部」が「あしたのまち・くらしづくり活動賞」を受賞したとの知らせが舞い込みました。
小さな賞ではありますが、その後に意外な効果をもたらしており、今となってはとても大きな賞だったと感じています。
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前述の設計事務所の手伝いは、先週電話がかかってきて頼まれました。僕も今は会社を立ち上げたばかりなのでいろいろと検討しなければいけない事も多いのですが、あまり深く考えることなく承諾の返事をしていました。しかも報酬の話も何もしないまま、気にせずに手伝いをしています。
ビジネスであればあまりよろしくない事ですが、でも僕にとってはこの手伝いに関してはそんな事はどうでもよいのです。

というのも不思議な事に、僕が「困った」と追いつめられそうになる時に限って、本当にタイミングよくこの設計事務所の所長さんが僕に声をかけてくださるのです。もちろん僕がそんな状態だと知る由もなく、誘いのタイミングはいつも偶然です。

7年前に、僕はそれまで携わっていた仕事の報酬の支払いが滞り、貧窮していた時期がありました。
当時僕の周囲にいた人たちに話をしても多くの人たちは上辺だけの心配で無関心を装い、当時は食費が1日50円の生活を余儀なくされました。
百円均一で4束100円のそば・ひやむぎ・うどんを購入し、それらをローテーションで1日2食。これが2ヶ月間続きました。正直、とてもつらかったです。

そんな時に、僕のそんな状況を知るわけのない前述の設計事務所の所長さんから、偶然模型作りのバイト依頼の声がかかりました。
それがなかったら、きっと今の僕はなかったと思います。

その後数ヶ月ほどその設計事務所でバイトをしていたのですが、徐々に味方をしてくださる方も現れ、しばらくして知り合いの方から別のバイト先を紹介され、有無を言えぬ状態でその紹介先に引き抜かれたのですが、その紹介先の仕事の一つに先日まで早稲田大学に拠点を置いて行っていた研究プロジェクトの事務局業務の仕事があり、僕が派遣をされることに繋がったのです。

ちょうどその頃、デンマークの住宅設計の依頼の話も頂き、その後数年かけて僕は素晴らしい体験をさせてもらいました。
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また貧困に喘いでいたその当時、僕が住んでいたアパートの部屋は1階で、南面の窓の外に2メートル幅の災害時には避難路となる庭がありました。
当時のその住まいの大家は叔父で、庭も好きに使っていいいと言われていた事から、僕は飢えに苦しんだ経験から自分の食べ物は自分で作ろうと思い立ち、窓の外の1坪ほどの庭の一角を耕し始め、野菜作りを始めました。
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最初は1坪程度の小さな畑から始めました。
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それが7年経った今、僕はなぜかその当時の500倍の広さの畑をいじっています。
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住んでいる家も当時のアパートの部屋から倍の広さになりました。

そして日本の世の中では「35歳、男性、年収500万円」という下世話な基準があるそうなのですが、ある時仕事先でその話を聞いて、僕みたいな風来坊な生き方をしている人間には縁のない話だと思っていたのですが、ありがたい事に35歳である昨年の僕はそのラインを超える事が出来ました。

とはいっても、そんな収入源であった仕事も打ち切りになってしまい、今年の年収予定は今のところゼロ。
悩んだあげく会社を作りましたが、当面の収入となる事業もないまま勢いで作ってしまったので、結局はどうしようかと迷いだけが増えました。

気持ち的には7年前の貧困に喘いでいた時と同じ、不安な気分です。
ただ、7年前と今の僕は、持っているものが違います。この7年の間に、僕はたくさんのものを手に入れました。
だから仕事が打ち切りになった事で誰も恨んではいませんし、この逆境も自分を成長させてくれるよい機会だと歓迎しています。

そういった中で自分の人生の運気を考えてみると、7年前のあのつらかった時とその前の段階からの流れが、今の状況にとても似ているのです。
そしてそんな凹な時期に、これまたたまたま当時と同じ設計事務所から声がかかった。
7年前もそこから未来が上向きに展開していったわけけで、だから今回もきっとこの誘いは偶然ではないと思うのです。

仕事内容がどうだとか報酬だとかは関係なく、常に周囲に感謝の気持ちを忘れず、この流れに乗れば、多分僕がこれからやろうとしていることは間違いなく好転していく。
遠回りに見えるかもしれませんが、実はそれは将来の大きな事に結びつく。僕には今そんな「気」がしており、確信しているのです。
posted by Coyama at 23:37| どうでもいいこと