2012年01月25日

百円札の使い方

今日は会社の経理のことで税理士さんに会いにきました。
いくら自分でやることは勉強になるとはいえ、結局何もかも自分一人で行っていくには無理がありました。
任せられる部分は人に任せる。そういったことも大事です。

自分でやろうと思えば出来ないことではないけれど、時間も限られてきます。
確かにお願いすることにはお金がかかるかもしれませんが、その分自身が余計なことに手を煩わされる時間を減らし、仕事に有効なことを行える時間を増やせれば、トータル的には金銭もプラスになっていくもの。
そう考え、知り合いの方に相談して知人の税理士さんを紹介していただきました。

小山家の家訓の中に「百円札の使い方」という話があります。

大正4・5年の頃、僕の祖父がまだ10歳の頃に曾祖父から教えられたお金の使い方。

僕の実家のある現在の神奈川県茅ヶ崎市、そこにある当時の円蔵村ではどこの家でも養蚕が盛んで、子どもまでがかり出され、一家総動員で桑摘みなどをしていたのだそうです。
そして収穫したまゆの売り渡しが済むと、蚕棚を壊して大掃除をし、畳を入れて広くなったように思える座敷で、家族全員くつろいで養蚕祝いをしたのだそうです。

そんな楽しい食事が終わった時、お酒を飲んでご機嫌な曾祖父は祖父兄弟を前に並んで座らせ、こう言ったのだそうです。

「お前たち、百円札を見たことがあるか?ないだろう。百円札にお目にかかれるのは春と秋の養蚕を売った時と、自作米と小作米をまとめて売る時ぐらいで、それ以外はないからな。」
「この百円札は年に二回か三回位しか見られない。明日は銀行に行ってしまう。それだから今のうちによく見ておけよ。」
そして曾祖父は祖父兄弟の前に百円札を並べました。

当時祖父たちのお小遣いは一銭か二銭の銅貨。お祭りの時に五銭の白銅貨を貰うようなことがあると、それこそ鬼の首を取ったかのように喜んだものだそうです。そんな時代だから百円札となると、子ども心にはその価値の大きさは想像もつかなく、目の前に並べられても恐れ多くてただ目を見張るばかり。

そんな祖父たちに、曾祖父はこう言いました。
「お前たちにこの百円札をあげよう。誰でもいい、欲しい者にあげるぞ?」

しかし兄弟の誰一人として、欲しいと言い出すものはいない。兄弟顔をそれぞれ見合わせながらも、無言のまましばらく時が流れました。
そんな祖父達を見て、曾祖父が切り出しました。
「貴様達は意気地がないな、俺ならすぐこの金を貰って、すぐ使ってしまう。お前達の中で、この百円札を使う勇気のある者はいないのか。わっはっは、この意気地なしめ!」

曾祖父の言葉は徐々に大きくなり、顔はお酒で真っ赤になり、熱気を増してきたそうです。
「お金はタンスの肥料ではないぞ。しまっておくものではない。使うためにあるものだ。だから使うのだ。」
「ただし、ただしだよ、その使い方には三通りある。どんな使い方か、わかるか?」

もちろん子どもにはそんなことがわかるわけがありません。
もじもじしている祖父兄弟を、しばらくじーっと見つめていた曾祖父は、こう言葉を続けました。

「第一の使い方。これは百円を百円以下の価値に使う使い方だ。これは馬鹿でも出来る。例えば無駄遣いをする、賭け事をして負けてとられる。なくしてしまう。すられる。酒に溺れる。女にとられる。競馬に狂う。こんな使い方は人間として下の下だ。まぁ人間の屑だな。こんな使い方をしたら百円札が泣くぞ。こんな使い方はするな。」

この話を聞いて祖父は子ども心にも、なるほどそうであるなと思ったそうです。

「第二の使い方。これは百円を百円相当の価値に使う使い方だ。これは普通の人なら誰でも出来るものだ。世間一般の使い方だ。例えば百円の品物を百円で買うのであれば、あたりまえのことである。人間として中の中だ。」

なるほど、この使い方なら子どもの自分にも出来るな、と祖父は思ったそうです。二銭の鉛筆を二銭で買えばいいし、五銭のノートを五銭で買えばよいわけだ、と。

「さて、第三の使い方だ。これは百円を百円の価値以上に使う使い方だ。これはなかなか難しい。誰にでもできるわけではない。例えば有利な株式への投資とか、値上がりを予想しての不動産の買収とか、優秀な機械器具を購入しての能率の増進、優良な図書による学力の向上、などなど。これはその人の頭の問題だ。こういう使い方をしてこそはじめて、人の上に立つことが出来るのだ。口で言うことはやさしいように思えるが、実際にこの使い方が出来る人は、人間として上の上だ。」

当時の祖父にはまだこの第三の使い方はわかったようなわからないような、しかし子ども心にもそれが一番よいということを思ったのだそうです。

「お前達には今はよくわからないだろうと思うが、大人になればきっとわかる時が来ると思う。金銭の使い方に三通りあるということだけは、しっかりと覚えておいてほしい。使い方の三方法をな...。」

曾祖父はそう言って百円札を祖父兄弟の前から手に取り、「ご先祖様のおかげである」と仏壇に供え線香をあげ鐘をたたき、合掌礼拝をしました。
その時の曾祖父の後ろ姿を、祖父は晩年までずっと忘れなかったそうです。

その後時は流れ祖父も家庭を持つにつれ、この金銭の使い方三原則の戒めが、強く脳裏によみがえり、日常生活の指針となり、自分の子ども達にも言い伝え、心の糧となるように心がけていると、昭和36年に、当時56歳の祖父がそうやって書き残したものを、孫の僕は平成24年となった今でも読んでいるのです。

会社を作ってしまった今、僕がこの先に行っていくことにも、常にこの金銭の三原則を戒めとして、心の糧になるよう心がけていきたいと思っています。
posted by Coyama at 23:23| 会社のこと