2012年01月26日

Tさんの誕生ケーキ

ふと、思い出した話があるので、書いておこうと思います。

もう10年前になりますが、僕がデンマークに行く前に、東京で開かれたあるパーティーでTさんという女性にお会いしました。
デンマーク関係のパーティーだったのですが、その後お互いにデンマークへ行くということでその時にメールアドレスを交換しあい、翌年の夏に僕は語学学校へ、Tさんはデザインの学校へと向かいました。

そんなTさんとは渡航後もメールのやり取りを続け、翌年の冬に僕はTさんを訪問しました。

その夜、お酒を飲みながら、Tさんがデンマークへ来た時から撮り続けてきたというアルバムを見せてもらい、Tさんの学校での奮闘記を聞かせてもらいました。

Tさんはそれ以前にも一度、デンマークへ留学をしに来たことがありました。その後一度は日本で就職したもののデンマークのことが忘れられず、さらに家具関係の仕事をする中で実際に自分でデザインをしてみたくなったのだそうです。
そして数年の準備の後、夢を叶えに再びデンマークへとやって来ました。

しかし来た当初は周りからは相手にされず、ある程度の会話力はあったとはいえ授業を受けるには十分ではなく、本当につらい毎日を過ごしていたのだそうです。
またそこは全寮制の学校で、相部屋ということもあり、いろいろと嫌な思いもしたのだそうです。

それでも、夢を叶えに来たTさんは諦めずに「自分にできることを少しずつやっていこう」、「言葉はできなくても積極的に表に出ていこう」と前向きに考え、例えば食堂に飾る花を厨房の人が外に摘みに行くのを手伝ったりなど、本当に小さなことから実行していったのだそうです。
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そんな前向きなTさんに接しているうちに、周りも少しづつ、本当に少しづつ、変わっていったのだといいます。

僕がTさんを訪問したのはちょうどTさんの誕生日の1週間後でした。
そしてちょうどアルバムの最後に納められていた、誕生日の写真を見せていただきました。
そこには、大きな手作り誕生ケーキの横で、デンマーク人に抱きかかえられた笑顔のTさんが写っていました。

「この中に今日、誕生日の人がいます!」
誕生日の日、いつもと変わらず食堂での夕食が終わった後、突然、学生のひとりが前に出てそう言いました。デンマークではよくある光景です。
そして「みんなで誕生日の歌を歌いましょう!」と言うと、学校のみんながTさんに向かい誕生日の歌を歌いはじめたのだそうです。

その時、厨房のドアが開き、中からTさんのためにみんなが作ったという特大の誕生ケーキが運ばれてきました。

それは小柄なTさんとは対照的な、大きな大きな誕生ケーキ。
でも、きっとそれはTさんの大きな心に似合った誕生ケーキなのだと思います。

それまでも学校では学生達の誕生日は何度もありましたが、ケーキが出て来たのはTさんだけなのだそうです。
それは夏に来てから半年、Tさんの前向きな姿勢が、始めは冷たかった周りの心の壁を溶かした証だと思います。

その幸せそうなTさんの素敵な写真は、いまでも僕の記憶に残っています。

今でも、つらいと思うことがあると、時々そんなTさんの誕生ケーキの話を思い出します。
Tさんがその誕生ケーキの横で微笑むまでには相当な苦労をしたのだと思います。それを思うと、僕も立ち止まったり、逃げ出したくなったりすることが恥ずかしく思えて来ます。

Tさんが示し、見せてくれたように、僕も前向きに進んで行かなければいけません。僕にもまだ叶えたい目標が、この先にたくさんあるんです。

『真面目に、しっかりと核を持ち、信念を持って進んでいれば、いつかかならず評価される日が来る。』
僕がデンマークへ行く時に、僕の恩師が僕にくれた言葉です。

そしてその言葉の姿を、Tさんの誕生ケーキに見せられたような気がしています。

あれからもう10年が経ち、未だに先の見えない不安だらけの道を歩んでいますが、この先の未来の結果は、僕のこれらの心構えと行動次第だと思っています。

少しでも社会の役に立つような、人から感謝されるようなことが実現できる人間になることを目指して、明日もしっかりやっていきたいと思っています。
posted by Coyama at 23:48| デンマークのこと

2012年01月25日

百円札の使い方

今日は会社の経理のことで税理士さんに会いにきました。
いくら自分でやることは勉強になるとはいえ、結局何もかも自分一人で行っていくには無理がありました。
任せられる部分は人に任せる。そういったことも大事です。

自分でやろうと思えば出来ないことではないけれど、時間も限られてきます。
確かにお願いすることにはお金がかかるかもしれませんが、その分自身が余計なことに手を煩わされる時間を減らし、仕事に有効なことを行える時間を増やせれば、トータル的には金銭もプラスになっていくもの。
そう考え、知り合いの方に相談して知人の税理士さんを紹介していただきました。

小山家の家訓の中に「百円札の使い方」という話があります。

大正4・5年の頃、僕の祖父がまだ10歳の頃に曾祖父から教えられたお金の使い方。

僕の実家のある現在の神奈川県茅ヶ崎市、そこにある当時の円蔵村ではどこの家でも養蚕が盛んで、子どもまでがかり出され、一家総動員で桑摘みなどをしていたのだそうです。
そして収穫したまゆの売り渡しが済むと、蚕棚を壊して大掃除をし、畳を入れて広くなったように思える座敷で、家族全員くつろいで養蚕祝いをしたのだそうです。

そんな楽しい食事が終わった時、お酒を飲んでご機嫌な曾祖父は祖父兄弟を前に並んで座らせ、こう言ったのだそうです。

「お前たち、百円札を見たことがあるか?ないだろう。百円札にお目にかかれるのは春と秋の養蚕を売った時と、自作米と小作米をまとめて売る時ぐらいで、それ以外はないからな。」
「この百円札は年に二回か三回位しか見られない。明日は銀行に行ってしまう。それだから今のうちによく見ておけよ。」
そして曾祖父は祖父兄弟の前に百円札を並べました。

当時祖父たちのお小遣いは一銭か二銭の銅貨。お祭りの時に五銭の白銅貨を貰うようなことがあると、それこそ鬼の首を取ったかのように喜んだものだそうです。そんな時代だから百円札となると、子ども心にはその価値の大きさは想像もつかなく、目の前に並べられても恐れ多くてただ目を見張るばかり。

そんな祖父たちに、曾祖父はこう言いました。
「お前たちにこの百円札をあげよう。誰でもいい、欲しい者にあげるぞ?」

しかし兄弟の誰一人として、欲しいと言い出すものはいない。兄弟顔をそれぞれ見合わせながらも、無言のまましばらく時が流れました。
そんな祖父達を見て、曾祖父が切り出しました。
「貴様達は意気地がないな、俺ならすぐこの金を貰って、すぐ使ってしまう。お前達の中で、この百円札を使う勇気のある者はいないのか。わっはっは、この意気地なしめ!」

曾祖父の言葉は徐々に大きくなり、顔はお酒で真っ赤になり、熱気を増してきたそうです。
「お金はタンスの肥料ではないぞ。しまっておくものではない。使うためにあるものだ。だから使うのだ。」
「ただし、ただしだよ、その使い方には三通りある。どんな使い方か、わかるか?」

もちろん子どもにはそんなことがわかるわけがありません。
もじもじしている祖父兄弟を、しばらくじーっと見つめていた曾祖父は、こう言葉を続けました。

「第一の使い方。これは百円を百円以下の価値に使う使い方だ。これは馬鹿でも出来る。例えば無駄遣いをする、賭け事をして負けてとられる。なくしてしまう。すられる。酒に溺れる。女にとられる。競馬に狂う。こんな使い方は人間として下の下だ。まぁ人間の屑だな。こんな使い方をしたら百円札が泣くぞ。こんな使い方はするな。」

この話を聞いて祖父は子ども心にも、なるほどそうであるなと思ったそうです。

「第二の使い方。これは百円を百円相当の価値に使う使い方だ。これは普通の人なら誰でも出来るものだ。世間一般の使い方だ。例えば百円の品物を百円で買うのであれば、あたりまえのことである。人間として中の中だ。」

なるほど、この使い方なら子どもの自分にも出来るな、と祖父は思ったそうです。二銭の鉛筆を二銭で買えばいいし、五銭のノートを五銭で買えばよいわけだ、と。

「さて、第三の使い方だ。これは百円を百円の価値以上に使う使い方だ。これはなかなか難しい。誰にでもできるわけではない。例えば有利な株式への投資とか、値上がりを予想しての不動産の買収とか、優秀な機械器具を購入しての能率の増進、優良な図書による学力の向上、などなど。これはその人の頭の問題だ。こういう使い方をしてこそはじめて、人の上に立つことが出来るのだ。口で言うことはやさしいように思えるが、実際にこの使い方が出来る人は、人間として上の上だ。」

当時の祖父にはまだこの第三の使い方はわかったようなわからないような、しかし子ども心にもそれが一番よいということを思ったのだそうです。

「お前達には今はよくわからないだろうと思うが、大人になればきっとわかる時が来ると思う。金銭の使い方に三通りあるということだけは、しっかりと覚えておいてほしい。使い方の三方法をな...。」

曾祖父はそう言って百円札を祖父兄弟の前から手に取り、「ご先祖様のおかげである」と仏壇に供え線香をあげ鐘をたたき、合掌礼拝をしました。
その時の曾祖父の後ろ姿を、祖父は晩年までずっと忘れなかったそうです。

その後時は流れ祖父も家庭を持つにつれ、この金銭の使い方三原則の戒めが、強く脳裏によみがえり、日常生活の指針となり、自分の子ども達にも言い伝え、心の糧となるように心がけていると、昭和36年に、当時56歳の祖父がそうやって書き残したものを、孫の僕は平成24年となった今でも読んでいるのです。

会社を作ってしまった今、僕がこの先に行っていくことにも、常にこの金銭の三原則を戒めとして、心の糧になるよう心がけていきたいと思っています。
posted by Coyama at 23:23| 会社のこと

2012年01月24日

挨拶

小学校に通っていた幼き頃、担任の先生がいて、学年主任の先生がいて、他クラスの先生がいて、教頭先生がいて、校長先生がいて、用務員のおじさんがいて、そんな大人たちと朝会うと「おはようございます!」と元気に挨拶をし、帰りに会うと「さようなら〜」と笑顔で挨拶をしていた。
そういった経験は、おそらく僕だけの経験ではないはずだ。

36歳になろうとしている今でも、縁あって教育機関に関係している。ちょっとは名の知れた大学で、日本全国から立派に教育を受けてきたご子息やご令嬢が通われていると思われる大学だ。
僕が利用するキャンパスには便利なことに地下鉄が直結していて、ホームから上がるとすぐにキャンパスに出ることができる。
毎朝9時や10時、朝の授業が始まるであろう時間帯に地上に出るためのエスカレーターに乗ろうとすると、背中に大学の名の入ったスタッフジャンパーを来た用務員のおじさんが、エスカレーターの手すりを拭いている場面に遭遇する。

しかし驚くことに、僕の前を行く多くの学生や先生、研究者と思われる方々の誰一人として、その用務員のおじさんに挨拶をしないのである。
僕がおじさんに「おはようございます」と挨拶をすると、おじさんも笑顔で挨拶を返してくる。
しかし挨拶をした後にエスカレーターに乗る僕の後ろからは、たくさんの大学関係者が上ってくるのだがやはりおじさんに対しての挨拶は誰からも聞こえてこない。

僕の研究室のある建物には、日々スタッフジャンパーを着た用務員のおじさんやおばさんが掃除で巡回している。
自分たちの出したゴミを片付けてくれるのも、通路がいつもきれいなのも、トイレがきれいなのも、その人たちのお陰だ。
だから僕は朝その人たちに会った時には、「いつもきれいにしてくれてありがとうございます。」という感謝の気持ちを込めて「おはようございます」と挨拶をする。

学生さんたちを見ていると、自分の知っている先生や仲間にしか挨拶をしていないように思われる。
もちろん顔を知らない人にまで挨拶をしろとは言わないが、せめて用務員のおじさんやおばさんには挨拶をしてもよいのではないかと思う。
あなたたちが鼻をかんだティッシュも、食べ終えたインスタント焼きそばの容器も、読み終えた週刊漫画も、トイレの床にこぼした小便の滴も、片付けてくれるのは仲間でも先生たちでもない。用務員のおじさんやおばさんだ。

ある建築学科の研究室の前では、模型制作のために廊下で無造作にスプレーのりを使用したため、床がベタベタでひどい状態になっていたのを、数名の用務員のおじさんたちが必死で掃除をしていたのを見かけたことがある。

おそらくその研究室で学んだ学生たちの多くは、将来は設計事務所などに進み、建築設計で生計を立てていくのだと思う。
ただ、身近なモノや建物を大切に扱えない人間は、たいした建築士にはなれないよ、と僕は思っている。
でも僕は彼らの先生でも先輩でもないので、それを学生さんに教えることは出来ない。

僕は大学・大学院の時の恩師からは『きちんと挨拶をしなさい』と教わった記憶がある。
最近の先生たちは、そういったことは学生さんたちに教えていないのだろうか。

デンマークにいた頃は、道ですれ違った人でも、目が合えば挨拶を交わした。大学でエレベーターに乗り合わせた人とも「ハイ!」と軽く微笑んで挨拶をしていた。
日本では、知っている人としか挨拶を交わさない。

でも考えてみると、日本人だって小学生の頃、学校にいた大人たちには挨拶をしていたはずだ。それが担任の先生だろうが用務員のおじさんだろうが関係なく、学校に関係していた大人の人たちには挨拶をしていたはずである。

人は何歳から、挨拶をしなくなるのだろうか。日本人はいつから、知らない人には挨拶をしなくなってしまったのだろうか。
いや、もしかすると挨拶をする僕の方がおかしいのかもしれない。

そんなことを考えながら、今日も僕は大学で用務員のおじさんと会うと、「おはようございます」と笑顔で挨拶を交わしてしまうのです。
posted by Coyama at 12:38| 思ったこと・感じたこと

2012年01月23日

言霊

YouTubeに投稿されている野田総理の過去の演説の動画が物議をかもし出しているらしい。当時2009年の演説とまったく逆のことを、総理となった現在行っているからだという。
http://www.j-cast.com/2012/01/20119498.html

“あの時はそう言ったけど、いざ自分がその立場になってみると・・・”ということは日本の政治家の方々の発言ではもう見慣れてしまい、特に驚かなくなってしまった国民も多いことだろう。むしろ“それが政治家”と思う人の方が多いのかもしれない。

こう書いたからと言って何もここで政策論争や野田総理批判をするつもりは全くない。なぜ冒頭にこんなことを書いたかというと、このニュースを聞いて「言霊」について思ったからだ。

人間が発する言葉には「言霊」があるという。つまり言葉に霊力が宿るということだ。
論理的に考えてみると、人間が発する言葉のすべてに霊力があるのであれば、それらの言葉の実現性は高くなるわけであるが、現実に世の中を見渡してみてもそうとは思わない。いわゆる「口だけの人」というのも多いし、多くの矛盾も生じることになる。

例えば「ゼッタイに痩せる!」と口にしても、実際にそれが実行される確率は残念ながらあまり高くはない。
もし言葉に霊力があるというのであれば、「ゼッタイに痩せる!」と言葉に出せば痩せるはずである。
でも多くの場合、ダイエットは成功しないんだな。

また、僕が女性に「好き」と言っても「嫌い」と返されることも多い。まぁそこには言葉以外の問題もあるのかもしれなが、もし「言霊」というものがあるのだとすれば、僕が「好き」と言った時点で言った相手も同じように思ってくれるはずであるが、現実はそう単純ものでもない。「嫌い」とまではいかなくても「好きじゃない」ということは多く、いずれにしても僕の「好き」という言葉には矛盾するわけである。

ではその“言葉”が実現するのはどういう時かというと、本当に強い意志を持った人が発した時だろう。

つまり言葉というものすべてに霊力が宿るのではなく、霊力の高い人が発した言葉に霊力が宿るのではないだろうか。
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そしてその霊力というのは、繰り返すことで高まっていくのだと思う。
どういうことかというと、自分が言ったことはきちんと実現させていくということ。
するとその人の発する言葉は霊力が高まり、発する言葉には言霊が宿るのだと思う。そして“言霊の籠った言葉”は実現する確率が高くなる。

一方で「入るを計って出るを制す」という言葉もあるように、なんでもかんでも口に出して言えばいいということではなく、「余計なことは言わない」「出来ないようなことを言わない」「嘘をつかない」ということも大事だ。
どんなに実現可能な言葉を発したとしても、反対に実現不可能な言葉まで発していたら、霊力はプラスマイナスでゼロになる。

そうやって考えると、「小さなことでも実現可能なことを常に口にするようにし、余計なことは口にしない。」と気をつけておけば、自分の言葉にも強い「言霊」が宿るようになり、発言の実現度が高くなるのではないだろうか。

その考えが正しいのかどうかはわからないが、少なくとも「余計なことは言わない」や「嘘はつかない」ということは、日常の生活の中で実践しても決して自身にとって損になることではないと、僕は思います。
posted by Coyama at 12:57| 思ったこと・感じたこと

2012年01月22日

住んで知る多摩ニュータウンの交通事情(電車編)

ある方が京王線を使い新宿駅から多摩ニュータウンの京王永山駅に来た時に「いやぁ、都心からだと特急ですぐで便利ですね。」と言っていた。

確かに、新宿駅から京王線の特急電車に乗り、調布駅でホームの反対側に待ち合わせで停車している急行電車に乗り換えると、京王永山駅までは25分で到着、多摩センター駅へは28分で到着する。
その時に新宿駅と永山駅の間の停車駅は明大前・調布・京王稲田堤の3駅だけだ。

それは確かに便利かもしれないが、実際に住んでみると大きな誤解があることに気がつく。
それは、特急の恩恵を受けられるのは時間帯などに条件がある、ということだ。

朝の通勤通学の時間帯に京王永山駅から新宿駅に向かおうとすると、特急電車は走ってなく、新宿までは約60分かかる。
しかも橋本駅から来る電車の席はほぼ間違いなく埋まっていて座れることは少なく、徐々に乗車率は増していき、明大前駅の手前でピークに達する。ほぼ身動きが取れないくらいの満員電車だ。

さらに橋本駅から調布駅の間を京王相模原線というのであるが、この京王相模原線の使い勝手が悪い。
調布駅の手前では乗り入れの関係から、線路上で数分間停車して待たされる。1〜2分と短い時間ではあるが、それでも乗っている側は心地よいものではないし、外では外で踏切を跨いで停車しているため、電車が動くまでは遮断機は降りたままだ(追記:2012年の調布駅ホームの地下化に伴いこの問題は解決されました)。
そして不思議なことに、夏などが特に多く感じるのだが、相模原線内は車内の空調が停止している。夏の京王相模原線の車内は蒸し暑い。しかし調布駅で八王子方面から来ている特急電車に乗り込むと、そちらは寒いぐらいに冷房が効いているので、一気に体が冷えるのである。
また相模原線から新宿に向かう本線に乗り入れた列車は、多くは急行として新宿に向かうのであるが、その列車は調布駅を過ぎると空調が入る。それを見ても相模原線区間に何らかの制約があるのは明らかだ。

さらに新宿に急ぐ場合には調布駅で特急電車に乗り換えるわけだが、乗り合わせが悪い便が時々あり、京王永山駅から乗車した電車でも、調布駅で特急電車を待っている間に、京王永山駅で10分後に出た電車が調布駅に到着する。
つまり京王永山駅で10分後に乗ったとしても、新宿に着く時間が同じになるのだ。
たかが10分といえども、朝の時間の10分はかなり大きい。また急いでいる時には本当に残念に思えてくる。

ただしこれらの不便さも新宿へ向かう「上り」の場合であり、新宿から発車する「下り」に関しては乗り合わせはそれほど悪くない。
新宿駅から下りの特急電車は10分毎に発車している。
しかしそれも17時以降の便ではかなりの満員電車となる。もし座りたければ、ホームに停車中の電車に乗らずに次の便を待つ。そうすれば座って帰ることが出来るが、10分でも早く帰りたい、とつい満員電車に乗ってしまう人も多いと思う。

多摩ニュータウンに住んでいて都心に通勤・通学しているサラリーマンや学生は、毎日そのような生活をしているのである。

なので外部の人からは「いやぁ、都心からだと特急ですぐで便利ですね。」と思うかもしれないが、実際にはそれほどまでに便利でもないのである。

ちなみに僕が都心に出る時は、主に並走する小田急線を利用している。小田急線は京王線に比べると時間も長くかかるのであるが、車内も京王線ほどに満員電車にはならないし、座れることも多く、かつ空調も快適に設定されているので、急ぎでない時は極力小田急線を使っているのである。
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もっともこういった交通事情は都心沿線の鉄道であればどこもそれほど変わらないのだと思う。

しかし『都心から電車で〇〇分!』という魅力的な文句は、時と場合によるわけで、決して『常に』ということではない。
住んでみなければわからないことって、いろいろあるのである。
posted by Coyama at 23:35| 多摩ニュータウンのこと